「スクール水着」という言葉が生まれたのは…
水泳用品メーカーの「フットマーク株式会社」が4月17日、東京・両国にある同社のマーク館1階で「スク水博覧会」を開催した。
ここでは同社が1978年にスクール水着の販売を手掛けて以降の時代ごとの女子スクール水着を展示。開発が進むことによる材質の変化や学校側の要望や社会のトレンドによる形状の変化などが一目で分かる催しとなっている。
この日は同社の磯部成文取締役会長が「昭和」の女子スクール水着の歴史を、スクール販売部の白川純也氏が「平成」のスクール水着の歴史をそれぞれのテーマに沿って解説した。
磯部氏によると現在「スクール水着」と言われているものは当初は「学販水着」とか「学校用水着」などと呼ばれており、同社では1986年に「スクール水着」という言葉を使い始めた。以降この名称が一般化して現在に至っている。
当初は生地の材質が悪いことから、伸縮性も乾きも悪く「雑巾水着」とも呼ばれていた時代もあったという。同社で1978年に最初に販売された「ダブルトリコット水着」もフィット感やデザインより丈夫さが重視されたものだった。このへんは時代性でもある。
その後、学校の現場から「名前を入れる部分を作ってほしい」という要望があり1982年に「ネームライン」を入れた水着を開発。折からのスイミングクラブブームで水着に機能性が求められるようになり、縦と横に伸びるツーウェイ素材を用いた「ツーウェイ水着」が誕生し、伸縮性やフィット感が画期的に向上することとなったという。その後、ツーウェイ生地の開発が進み、より薄く、伸縮性に富んだ「レーシング水着」に発展する。
平成になると1993年に蓄熱保温素材を使った水着「アクアライン スイムスーツ」が完成。アクアラインというのは生地の名前で、この生地により濡れても従来より暖かく、水分が蒸発するスピードも速く、体の冷えを軽減できる水着ができあがった。これは当初は大人用の水着に使われていたのだが、学校用にも転用。転用にあたってはおぼれた時の視認性を高めるために背中にカラーの切り返しをデザインするなど、やはり学校の現場からの声を反映したものになったという。