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「描いた絵を人にあげたりしていたんだけど溜まっちゃうんで、なにか利用する方法はないかなと思っていてね。ゴッホやモジリアーニをテーマにした映画があるけど、60億円もする本物の絵を使うことなんてできないじゃない、ましてや傷つけるなんてことはね。でもオレの絵ならタダだから、傷つけることも燃やすこともできる(笑)。じゃ、画家の話にしようと。ただオレの描いた絵が絵なんでね(笑)、こんな才能のない画家がなぜ絵を続けていくことになったのかを考えた。金持ちの家に生まれて、親が絵画好きでモンマルトルとかにあこがれて子供に真知寿なんて名前をつけて、ベレー帽を被せたら本人もその気になっちゃって、金がなくなっても絵描きの夢が捨てられず…というストーリーにしようと。これはウチの若いのと酒を飲みながら2時間くらいで作ったネタなんだけど(笑)」 劇中に登場する“いかにも売れない画家らしい”絵画作品は監督本人が手がけたもの。ミロ風からウォホール風、具象抽象、前衛芸術…近現代美術オンパレード。失礼ながらこれはこれでかなりの才。 「画商に“コレ、ものまねじゃない”と言われる場面の絵は、描くのがちょっと大変だったよね。一応、仕事ついでにMoMA(ニューヨーク近代美術館)にも行って来たんだけど、画集で見た絵のイメージと、展示している絵の大きさがあまりにも違っていて、やっぱり本物を見ないと分からないなと思った。でもおかげで“それらしい”けど“ヘタ”な絵は描けたな、と(笑)」 真知寿は北野武を鏡に投影したものなのか、数学者になる夢を断った北野青年は、多くの真知寿たちがいただろう現代カルチャー黎明の場に身を置いていた。 「全学連の時代ね。そのころオレは新宿のジャズ喫茶のボーイで、状況劇場とか横尾忠則さんとかが、わっと出た時代なのね。新劇の人も来たし、ハプニングという今考えれば電撃ネットワークみたいなのもいたしね。でも、あのころは本物とニセモノの区別がつかないわけ。みんな分からないから何でもいい。フーテン族とかビート族とか、あいつらみんな電車で通って来てたよ(笑)。でもさ、結局続けていたヤツが勝ち、みたいなところもあるよ。やり続けた人は、いまはそれなりになっているよね。継続させることが一番なのかな。オレはそういうのが嫌で、学校を離れて浅草に行っちゃった。まさかそこでコメディアンになるとは思わなかったけどね。この映画みたいに、浅草にも漫才師や落語家を夢見て来るヤツがいっぱいいたよ。なりたくてなれたヤツは売れなくたってもうそれでいいと思うけど、オレの場合はなりたくて芸人になったわけじゃないから売れなきゃ困るわけ(笑)。浅草芸人は誇り高くてね、テレビに出なくても浅草で死んでいけばいいって、ヘンなロマンがあった。でもそんな兄さんたちを見て、オレはそれじゃ嫌なんだ、という気持ちはあったんだよね」 時代が変貌を遂げる、その場にいた。 「当時、浅草で一番の稼ぎ頭は獅子てんや・瀬戸わんやさんだったんだけど、そのギャラが森進一歌謡ショーの前座で1ステージ30万。その後、萩本欽一さんが出てきてショーの司会になった。オレたち芸人は“前荷(まえに)”っていう前座に過ぎなかったのが、逆転しちゃった。森進一の前座を目指す人たちも見たしショーの司会を目指す人たちも見た。テレビの創世記から全盛期までを見てきたよ。テレビも変わったね、制作費も少なくなって。『オレたちひょうきん族』のときなんて1500万円のセットを10分でぶっ壊したりしたけどね(笑)。芸能とかアートに関しては、オレたちほど洗礼を受けた世代はないだろうね」 畑は違えど、真知寿もまたそんな成功の夢を見ていたはず…。 「よく考えれば真知寿はバケモノだと思うよ。真知寿のせいでいろいろな人が不幸になっているしね。絵を描いてなかったらトンでもないヒモだよ(笑)。サラリーマンよりも、売れなくても夢を追っている人のほうが偉いと思われがちだけど、それを良しとするのは、あまり好きじゃないんだ。それって危険だと思うんだよ。よく“芸人は親の死に目にも会えない”なんていうけれど、あれは間違いで、親の死に目にも平気で芸をできるヤツが芸人になるんだよな」 幸子の “糟糠(そうこう)の妻”ぶりも、けなげであると同時に、おかしく悲しい。 「幸子も、芸術にあこがれて才能の無い画家を支えるのが一番の幸せという人物。芸術って麻薬のようなモンだよね。でもまあ、2人で芸術という麻薬を吸ってさ、売れなくてもやりたいことをやれてられるだけでいいんじゃない、とも思うんだけど(笑)。今回、よく“夫婦愛”って言われるけど、オレからしたらそんなもん幻想に決まってんじゃねえか、って言いたいんだけどね(笑)。でもまあ、男と女が五分五分の関係でいるのは冷戦状態のときくらいなのかもね。支えたり支えられたり、自然にそれぞれ落ち着く関係に収まっちゃうんじゃないの」 監督はそんな辛口でこの奇妙な夫婦を評するが、この寄るべなき2人の絆を“いいんじゃないの”と、見守ってもいる。タイトルは“理論上では、足の速いアキレスは決して亀に追いつけない”という数学のパラドクスから。いくつものパラドクスを内在する――それこそが人生のリアル。そんなパラドクスをたくみに織り込んだ北野監督最新作は、シュールでありリアルであり、悲劇であり喜劇である。そして何より、異色にして出色の一本となった。 (本紙・秋吉布由子)
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