2018年冬季五輪は韓国・平昌 2020年東京への影響は!?
2018年冬季五輪の開催都市を決める国際オリンピック委員会(IOC)総会が6日、南アフリカのダーバンで開かれ、ミュンヘン(ドイツ)、アヌシー(フランス)、平昌(ピョンチャン)(韓国)の3候補の中から、平昌を選定した。
平昌はIOC委員による1回目の投票で、95票のうち過半数を超える63票を獲得した。3都市以上の争いとなった五輪都市選定が1回の投票で決まったのは、02年冬季大会のソルトレークシティー(米国)以来。史上初の夏冬開催を目指したミュンヘンは25票、アヌシーは7票だった。
3大会連続の挑戦となった平昌は、フィギュアスケート五輪女王の金妍児(キム・ヨナ)(20)や李明博大統領が現地入りし、PR活動を展開。政府が5億ドル(約400億円)を冬季競技施設整備に充てるなど、国を挙げての招致活動が実った。韓国での五輪開催は1988年ソウル大会(夏季)以来で、冬季五輪の開催は初。アジアでは72年の札幌、98年の長野に続いて3度目の冬季五輪となり、日本以外のアジア地域では初の開催となる。
東京が20年夏季五輪への立候補に意欲を示しているが、直前の18年に同じ東アジアで五輪が開かれるのは、招致にとっては不利に働くと思われる。
JOCは「夏季五輪と冬季五輪は別物」と大きく構えるが、過去に同じ大陸で冬、夏と続けて五輪が開かれた例はない。すでに名乗りを上げているローマなどライバル都市に加え、五輪開催権の“大陸ローテーション”という慣例も東京の壁になるだろう。
しかし平昌は大きな教訓も残してくれた。今回は3度目の立候補。10年、14年の招致では、いずれも決選投票で他都市に譲っている。今回は少なからず同情票が平昌に流れるとの観測もあった。招致レースには「参加し続けることに意義がある」(JOC幹部)の典型といえる。
東京が1964年五輪の開催権を勝ち取る前段でも、60年招致に挑んでローマに完敗している。
問題は「なぜ東京なのか、なぜ2度目の五輪なのか」ということ。今回は、東日本大震災を踏まえての「復興五輪」。大義は十分にあるといえるだろう。