[FRONT-PAGE SPECIAL INTERVIEW ]表現者 石橋 凌 魂こがして歌う

FRONT-PAGE SPECIAL INTERVIEW

伝説のバンドのシンガーとしてひとつの時代を作り、俳優としては師と仰ぐ松田優作さんの遺志を継ぐようにハリウッドへ進出する。石橋凌は“表現”の場を自らの手でつかみ取り、その場所で圧倒的な存在感を発揮し、「石橋凌、ここにあり」としるしをつけてきた男だ。そしていま、石橋凌として再び音楽と向き合う。その真意は? 本人にインタビューした。

もう二足の草鞋を履いちゃったんで、履きつぶすまで履きたいと思う。

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撮影・蔦野裕

 石橋凌が歌う。ミュージシャンとしての石橋の顔を知る人ならば待望の帰還。俳優として石橋を知った人ならば、演技と同じように、圧倒的な存在感を放つ歌声にただ呆然することになるだろう。

「音楽をやるなら、それもソロでやるのなら、本当に自分が好きな音楽、九州でアマチュア時代に思い描いていたような音楽をやりたいって思っていたんですよ。インディーズでもいいから、って。だから、しばらく音楽から離れていても、まったく焦りはなかったんです。今回も、2年ぐらい前に“そろそろどうですか?”という話があって始まっているんですが、実のところ、今の事務所(エイベックス)には、同社が映画に進出するという記事を見て所属したので、音楽のことはまったく頭になかったんです。声をかけられて改めて契約書を見たら音楽も入っていた(笑)。じゃあそうしようかっていう程度で、渇望していたとかいうのとは違う。タイミングが合ったということなんですよね」

 やりたいことをやっていい−−。本人が思い描いていた環境のなかで、音楽と向き合って完成させたのが、このソロアルバム『表現者』だ。「昔、自分が書いた詞・曲をリアレンジし、もう一回今の時代に問いたいと決めていた」というこのアルバムは、『喝!』などバンド時代に作詞作曲した曲5曲と新曲7曲で構成されている。

「例えば『喝!』は1979年に発売された曲。当時、日本の自殺者が年間1000〜2000人っていうニュースがあって、経済大国と言われるようになった日本で、それだけの人数が自殺するのは絶対幸せじゃない、豊かじゃないよねって問いかけた曲です。歌がそういった現象の抑止力になるとは思わなかったけど、音楽を通じて、幸せとか豊かさとかについてみんなはどう思うのか投げかけたんです。あれから30年超が経ちましたけど、今の自殺者は年間3万を超えている。改めて、この状況についてみんなはどう思っているのかって投げかけてみたいと思ったんです。こうやってリスナーと意識を交換できるところってロックミュージックと他のジャンルの違うところ。ジョン・レノンやボブ・ディラン……僕が子供のころに聞いていた欧米のロックミュージックって、いつもリスナーに投げかけていた。僕はそれが音楽や歌の力だって思います」

 収録した曲には『乾いた花』もある。

「都会で生活するなかで、時代に流されてドライフラワーになっていないか。そんなふうに投げかける曲です。ただこの曲に関して言うと、自分への叱咤もあります。僕は今55歳になったんですけど、周りの同年代の人を見ると、これからどう戦おうが同じだよね、自分も世の中も変わらないよねってあきらめてる人が大部分ですよ。でも、僕はまだ夢を見たいと思うんです。だから新曲『我がプレッジ』ではその気持ちをありのまま書きました。僕自身への誓いの曲でもあるんですが、誰かの励みや力になってくれたとしたら、今このタイミングで僕が歌う意味も出てくるんじゃないかなと思っています」

 レコーディングには、九州時代の恩人をトリビュートするライブイベントで組んだキーボードの伊東ミキオをはじめ、ドラムスに元ザ・ルースターズの池畑潤二、ギターにTHE GROOVERSの藤井一彦、ベーシストにヒートウェーヴの渡辺圭一、ホーンセクションに梅津和時、ピアノに板橋文夫と強靭な布陣で臨んだ。石橋は、「安心感があるよね。あとは自分が歌うだけでよかった」。

 大河ドラマ『龍馬伝』でも競演した福山雅治も参加している。メッセージ性が一際強い『AFTER '45』でコラボした。レコーディングメンバーも福山の参加も、「縁(えにし)を感じる」という。

 縁あって集まった人たちによってこのアルバムは作られている。そのためか、収録されている新曲を改めて聞いてみると、「つながり」や「縁」がキーワードになっているように思えてくる。「僕がこれまでいろいろ活動してきて確信したことを歌っているだけ」と本人。

「こうやって、縁とか、魂こがしてとか言ってると、石橋さん何か宗教やってるんだろうかとか思われちゃったりするけど(笑)、そういうのじゃないんだよね。さっき話した九州の恩人や松田優作さんとの出会いを通じて、確実に縁だとか魂の存在を感じるようになったんですよ。九州の恩人にはもう音楽はダメかもしれないと思ったときに拾い上げてもらったし、優作さんには……大げさに聞こえるかもしれないけど、生き返らせてもらったって思ってるんですよ。優作さんとお酒を飲むとしていた話があるんです。この国は経済大国とか言われてるけど、一歩海外に出るとイエローモンキーとかエコノミックアニマルとか指差されて笑われてる。それをご破算にするのが、文化や芸術、アスリートだと思うってね。優作さんは、政治家や経済人がまき散らしている負のイメージを埋め合わせするのが僕らの仕事だって戦い続けていた。その姿を見て、自分も奮い立たせられたし、戦い続けていかなければならないと思って僕はずっとやってきました。あくまでも自分なりの形ですけどね」

 だからこれからも夢を見、戦い続けていくという。それが、石橋凌という「表現者」なのだ。

「タイトルの『表現者』ってね、優作さんの言葉なんですよ。ある時、優作さんが、“ミュージシャンとか俳優とかいう壁はとっぱらってね、表現者でいいじゃないか”とおっしゃった。優作さんも音楽をやってらっしゃったしね。二足の草鞋を履くというのには、二兎を負うもの一兎も得ずっていうのが付きまとって、ネガティブに捕らえられることも分かっています。だけど、僕はもう二足の草鞋を履いちゃったんで、履きつぶすまで履きたいと思っています。もう、どちらが欠けてもダメなんだよね。だから、僕は表現者として、これからも戦っていくつもりです。そのためには、歌でも演技でも本質を見極めて、ハートや魂が入っているものを作りたい。僕はそういうものから学んできたんだからね」

(本紙・酒井紫野)

石橋凌(いしばし・りょう)
伝説のロックバンドA.R.Bのボーカリストとして活動するなかで、1982年に映画デビューを果たす。松田優作と出会い、松田監督・主演作『ア・ホーマンス』(86)に出演した。1990年に松田の意思を告ぐべく役者活動に専念するためバンドは休止状態に。その間にアメリカの俳優ユニオン「スクリーン・アクターズ・ギルド」の会員証を取得した。1998年に新メンバーでA.R.Bが復活、2006年にはバンド解散。現在は表現者として活動を展開する。