街は、その”味”と”もてなし”を忘れない 東京”名店”物語
“味”“商品”“もてなし”…そこに込められた心が多くの人々を引きつけ、いつしか街の名物となる店がある。街に愛された店の名は、新たな形で受け継がれ、いつまでも語り続けられるのだ。
「私が大勝軒を開いたころ、まだ東池袋には高い建物なんて無かったんですよ。あの場所に店を開いたのは、4丁目28番地だったから。私の誕生日が4月28日でね。これは運命かな、と(笑)」。そう語るのは、現在公開中のドキュメンタリー映画『ラーメンより大切なもの〜東池袋 大勝軒 50年の秘密〜』の“主人公” 山岸一雄さん。ご存じ、ラーメン好きなら知らぬ者はない伝説のラーメン店・大勝軒の創業者だ。1955年につけ麺のルーツと言われる“特製もりそば”を考案し話題を呼んだ山岸さんが、東池袋に大勝軒を開業したのが1961年。「まだサンシャイン60も無くてね。そのころは拘置所があって、向かいに材木市場があって。警察署のお巡りさんとか、ホースニュースという競馬新聞社の人とか、その近所の人がまず常連になってくれたんです」。いつしか山岸さんの作るラーメンを求めて2時間もの行列ができ、その味を習得しようとひっきりなしに弟子入り希望者が訪れるように。山岸さんはそれを拒むことなく受け入れ、惜しげもなく技を伝授した。「私が弟子たちに言っていたのは、俺の味を継がなくていいから、その地域で一番おいしい店とお客さんに喜ばれるように頑張れ、ということでした」。その心を継いだ弟子たちによって大勝軒は東池袋から日本全国、海外にまで広がった。「もともとは自分一代で終わるという気持ちでいたから、こんなになるなんて思ってもいませんでしたよ。自分には子供がいないから、弟子たちが子供みたいなものですね。今じゃ“孫”や“ひ孫”までいます(笑)」。ラーメンの神様と呼ばれるほど、愛されるラーメンを作り続けて50年。「永遠なるものを求めて努力し続けることが、自分にとって支えというか生きがいだったんです」。2007年、山岸さんは東池袋の再開発による移転を機に引退した。「立ち退きということになったとき、こっちも仕事ができなくなっていたし、弟子も育っていたから、自分としてはちょうど良かったなと思っているんですよ。再開発で池袋もさらに活気づくと思うし、弟子が継いでくれた今の大勝軒にも、もっと多くのお客さんが来てくれるかもしれませんね(笑)」。
先月、今の東池袋大勝軒で行われた映画の記念イベントに登場した山岸さん。街を歩く山岸さんのそばには常に弟子たちの姿があった。
先月31日深夜、ホテル西洋 銀座が26年の営業を終え、戸張浩幸総支配人を筆頭に、正面玄関に勢ぞろいし「いつかまたどこかで」の合言葉でその最後を締めくくった。ホテル西洋 銀座は1987年、西洋スタイルの建物と、日本の旅館の“おもてなし”を融合させたユニークなホテルとして誕生。日本初のコンシェルジュサービスなど小型だからこそできるきめ細やかなサービスで愛され続けたが、親会社の東京テアトルによるビル売却に伴い閉館となった。ホテルは閉館するが、銀座マカロンなどホテルの人気スイーツは『パティスリー 西洋銀座』の名で販売継続。日本橋三越本店 本館B1F食品売り場に6月12日に新規オープン予定だ。
5月31日の深夜、最後のゲストを見送ったスタッフたち 。ホテルの名物「銀座マカロン」は、今後もデパ地下などで販売される。