スポーツ祭東京フィナーレ part1

この盛り上がりを2020年東京オリンピック・パラリンピックへ

「第68回国民体育大会」と「第13回全国障害者スポーツ大会」を一つの祭典として開催した「スポーツ祭東京2013」が14日に東京・飛田給の味の素スタジアムで開催された障害者スポーツ大会閉会式で幕を閉じた。

 国体は9月28日から10月8日の11日間、障害者スポーツ大会は10月12日から14日の3日間に渡って熱戦が繰り広げられた。

 両大会は開催直前の9月7日、2020年夏季オリンピック・パラリンピックの東京招致が実現したとあって、ふだんにも増して注目を集めた。

「ここで活躍した選手の中から7年後に日の丸を背負って戦う選手が出てくるかもしれない」

 そう思うと応援にも自然と力が入るというもの。

 2020年東京の前、2016年リオデジャネイロ大会での活躍が期待される陸上男子の桐生祥秀は10秒22で少年男子A100mの3連覇を達成した。桐生は「気持ち良く終われて良かった」と語った。

 ブエノスアイレスで行われた五輪招致の最終プレゼンでスピーチを行った太田雄貴は東京都選手団の旗手を務めた。プレイヤーとしては14カ月ぶりの復帰戦。4日には成年男子フルーレに出場するも1次リーグ初戦で逆転負け。2、3戦目は勝利を収めたものの、2次リーグ初戦ではまたも黒星を喫した。しかし東京はチームメートの活躍で準々決勝に進出。太田は1日戦って試合勘が戻ってきたか、以降は全勝で東京の16年ぶり2度目の優勝に貢献。7日には専門外の成年男子エペでも3位決定戦の3番手で登場し勝利を収め、東京を3位に導いた。

 同じく最終プレゼンでスピーチを行った佐藤真海は障害者スポーツ大会の2日目の走り幅跳び女子に出場。4m 75cmの大会記録を出したものの2位に終わった。招致運動で忙殺され、万全の体調で臨むことはできなかったが「緊張したが、20年に向けたスタートとなる大会に参加できてよかった」と語った。
 佐藤を破ったのは昨年のロンドン・パラリンピック日本代表の中西麻耶。従来の記録を16cm上回る5m 18cmを飛んだが、今大会が日本パラリンピック委員会(JPC)の公認大会ではないため幻の日本記録となった。

 閉会式では大会会長の猪瀬直樹東京都知事が挨拶で、選手団、競技関係者、ボランティアら大会に関わった多くの人々に感謝を述べた。そして「『スポーツ祭東京2013』の開催理念を今後に伝えていくため、大会期間中の10月10日には、障がいの有無にかかわらず、誰もがスポーツを楽しむことができるスポーツ都市の実現を目指して『東京ユニバーサルスポーツ宣言』を行ったところです」とスポーツ祭東京終了以降も、東京が“障害のある人もない人も一緒にスポーツを楽しむことができる社会”の実現に向けて引き続き取り組んでいくことを誓った。

 続けて「2020年にはオリンピック・パラリンピック競技大会が東京で開催されます。今後、大会の成功に向けて準備を加速してまいりますので、招致活動の時と同様、全国の皆様の御支援・御協力をよろしくお願いいたします」と締めくくった。

 高円宮妃久子さまは「今後とも、一人でも多くの障害者の方が積極的にスポーツを楽しみ、自己の身体・精神を鍛え、より高い目標に向かって、充実した毎日を送られることを期待しております。このたびの『スポーツ祭東京2013』の盛り上がりを、2020年東京オリンピック・パラリンピックの成功につなげていただくことを心から願って、私の挨拶といたします」と述べられた。

 そして大会旗が次の開催地である長崎県に引き継がれ、スポーツ祭東京2013が幕を閉じた。