長島昭久のリアリズム
国家と安全保障を考える(その一)
外政を担いたいと思い政治の道を歩み始めたのは世紀の変わり目、2000年秋のことでした。初陣に敗れ、3年間の浪人生活を経て2003年11月に初当選。以来、野党議員として約6年間、外務委員会や安全保障委員会等に所属して政府に対する質疑追及に明け暮れました。追及といっても、常に念頭に置いていたのは、「外交・安全保障に与党も野党もない、あるのは国益のみ」との信念でした。ですから、70回を超える質疑で、政府の揚げ足取りや批判のための批判は一度もなかったと自負しております。逆に、台湾問題や海賊対処などでは、政府の足らざるを指摘し、具体的提案を行うなど建設的質疑を心掛けました。
その結果、2009年夏の政権交代後、鳩山・菅政権で防衛大臣政務官、野田政権では外交・安全保障担当の総理補佐官、防衛副大臣を経験することができ、外政を志した私としてはまさしく本懐を遂げることができました。とくに、野田政権で務めた総理補佐官の一年では、首脳会談に30回以上同席し、「国家とは何か」を常に考える日々でした。
「首脳会談や国際会議に赴くときは、命を懸けて戦地に赴いた出征兵士の心境で臨んだ」・・・これは尊敬する中曽根康弘元総理の言葉ですが、この言葉の重みを噛み締めることができました。まさに、首脳会談とは、国家の命運を背負ったリーダー同士の真剣勝負の場。補佐官レベルの私でさえも「国家とは何か」「国益とは何か」「国家戦略とは何か」を365日、常に考えさせられる日々でした。
国家について考えれば、自ずと国家の歴史に思いを馳せざるをえません。
日本史を紐解くと、日本はほんとうに特別な国だとつくづく思わされます。
地政学的に見ると、日本は、西正面に大陸が迫り、背後には太平洋という大海原が続いており、しかも、大陸の圧倒的なパワーを朝鮮半島や東シナ海を通じてダイレクトに受け止める島国です。普通、このような国は大陸の影響を大きく受け同化するものです。アフリカの東岸に浮かぶマダガスカルや、インド大陸の南のスリランカ(セイロン島)などは大陸に付属しているような位置づけですし、七つの海を支配した大英帝国ですら、欧州大陸からの巨大な圧力と葛藤を繰り返してきました。
しかし、日本は、歴史上、中国から様々な影響は受けつつも、一貫して国家や文化の独立を維持して今日に至っています。むしろ、古来、中国とは毅然として対等を貫き、何世紀にもわたりライバル関係を保ってきたといえます。世界史の中でも日本が稀な存在である所以です。
(衆議院議員 長島昭久)