高田漣 父・高田渡を歌うトリビュート盤をリリース
マルチ弦楽奏者で、音楽プロデューサー、また自ら作品をリリースするアーティストでもある。高田漣は、ライブや作品作り、さらには舞台音楽までさまざまなフィールドで活躍する音楽家だ。そんな彼が先日、今は亡き父でフォークソングのレジェンドの高田渡のベスト盤を編纂、さらにその楽曲をカバーするトリビュート盤をリリースした。父の死から10年。父の歌に向き合いながら感じたことを聞いた。
高田漣は物心がつく前から音楽に囲まれて育った。父は現代詩に曲をつけるという独特のスタイルを打ち立てたフォークソングの作り手であり歌い手の高田渡。父の周りには今や大御所と呼ばれるトップアーティストがいつも集まっていた。母の兄からは海外のロックレコードを譲りうけた。その恵まれた環境のなかで、彼は「いいプレイヤーになりたい、アレンジャーになりたい」という夢を持ったという。
17歳でセッションギタリストとして活動を開始。今はスティール・ギターに始まり、ウクレレだって弦ならなんでも弾く。ここ4年ほど、アコースティック・ギターやフォークソングに向き合ってきた。きっかけとなったのは3.11。高田は、その直後のチャリティーの録音で、父の曲を初めてカバー。曲は『鉱夫の祈り』だった。
「それ以前になぜ父の歌を歌っていなかったのか今でもよく分からないんです。でもその録音では、震災後のいろいろな報道を見ていて思うところがあったし、『鉱夫の祈り』がその時の自分の気分に合っていると感じたんです。それと、ライブで電気が使えないような状況になったことも一つの理由ですね。アコースティックの楽器でダイレクトに届く演奏スタイルって、やっぱり歌ですから。それから、フォークソングへの興味がまた湧いてきて、父の歌だけではなく、いろいろな方の歌を歌うようになりました」
要望もあって、父の曲を歌うことも増えた。そのなかで、改めて父の歌のすごさを発見した。
「主にテクニカルな意味で、ですね。高田渡の普通にしゃべっているように歌っているっていう表現、すごく難しいんです。好きなように自由に歌ってるもんだと思っていたけど、歌ってみて改めて気づきました。味だとかじゃなくて、テクニックのある歌唱方法。長いことかけて、いろんなことを咀嚼して作り上げたものだった。父は歌がうまかったんだなあと思いましたね(笑)」
その一方、ちょっとした後悔も感じた。
「父は、誰に対しても、歌詞についてあまり語りたがらなかったんです。聞けば分かるっていうことだと思うんですけど。ただ、現代詩をそのまま使っているわけじゃなくて、編纂されていたり、大胆に削除されていたりする場合もあるので、どうしてそうだったのか、なぜこの詩だったのかって聞いておけば良かったなって」
そんな想いを抱えつつ、先日、高田渡のベスト盤『イキテル・ソング〜オールタイム・ベスト〜』、そして高田漣が父をトリビュートした『コーヒーブルース 〜高田渡を歌う〜』を同時リリースした。ずっと温めてきた「高田渡の作品をちゃんとまとめよう」というアイデアを形にしたものだ。ベスト盤では企画・選曲、そして解説を、トリビュート盤ではそれに加えて歌唱・演奏をする。
「ベスト盤には入ってるけどトリビュート盤には入っていない曲、その逆もあります。ベスト盤は後に行くほどに新しい曲になっているので、高田渡の変化が感じてもらえたらうれしいです。トリビュート盤はライブってこんな感じだったっていう構成です。その感じを再現するじゃないけど、『仕事さがし』から始まることが多かったんです。父が好きそうな作風、レコーディングしたバージョンとは違うライブでのスタイル、作り方…踏襲する感じで作りました」
高田渡は、最新技術よりも古いものを好んだ。そのため、レコーディングはテープに録音するというアナログなスタイル。編集したり「こねくりまわすのも好きじゃなかった」ため、いつものレコーディングとはまったく異なる制作作業となったが、「楽しかった」と言う。父とのライブの楽しさがそのまま反映されているのかもしれない。
「父の曲であり、詩人の方の詞でもある。だから、古典落語をするような感じでしたね。話があって、それをどう作り、演じるか。自分の色をどう出すか、出さないのかっていう作業です。これを震災以降ずっとやってきたので煮詰まったりすることもなくて、かかった時間も、全工程4日間と極端に少ない。単純に計算すると1日で4曲完成させてます。それぞれ1回か2回しか歌ってないし、今聞くとここを歌い直したい、間違ってる!ってところもありますけど、この作品はこれでいいんじゃないかって思います。父の曲を通して、いい経験をさせてもらいました」
ベスト盤の企画、父の楽曲をカバーしたトリビュート盤は高田漣のディスコグラフィーのなかでもスペシャルなものになる。「音楽をやっていくなかで、次の段階に至った感じ」と話す。
「以前はサウンドを作るというイメージで音楽に向き合っていました。でも今は、ギター1本と歌という表現になったことで、曲の構造が変わってきたし、よりシンプルな方向に、曲調も言葉もそう。音楽家としての姿勢も自分の土台としてこういう作品があって、その演奏やサウンドを気に入ってくれた方がいてプロデュースするっていうほうにシフトしています」
音楽の聴き方、楽しみ方を伝えたいという想いも強くなっている。
「子供のころ、父の周りにいた人たちから音楽の聴き方を学びました。レコードを買うとまず誰がプロデュースしていて、アレンジは誰かっていうのを見る、なんていうのもそうです。今はいろんな音楽が並列になっているし、カタログも多すぎて何を聞いていいか分からないから聞かないみたいになってると思うんですよ。それを音楽的にうまく表現できたらって思いながら活動しています」
ベスト&トリビュート盤の解説には、アーティストの名前がずらりと並ぶ。それも、音楽を縦に聞いていくやり方を伝えたいという思いの表れだ。音楽とともに成長し生きる、高田漣。自らの作品、ライブでの演奏など、あらゆる表現を通じて、音楽の素晴らしさを伝えていく。(本紙・酒井紫野)