最愛の娘を殺した母親は、私かも知れない。『坂の途中の家』【著者】角田光代
『八日目の蝉』『紙の月』など登場人物の心理描写が巧みで、時に読むことが苦しくなる角田光代の最新刊『坂の途中の家』。
幼い娘を虐待死させた事件の補充裁判官になった理沙子は、裁判で母親をめぐる証言や同じ裁判員たちの言葉を聞くうちに、被告と自分の境遇を重ね合わせていく。被告の夫や義父母の証言、友人が語る被告像は、どれも自分のこれまでの人生と変わりがないように思う。表面的には些細な違いもあるが、確かに被告はかつての自分であり、今の自分だ。そんな小さな思いが、裁判を重ねるたび大きくなり、自分では気が付かなかった、もしくは目をそむけていた事実を認めざるを得なくなっていく。そして愛していると揺るぎなく思っていた娘に抱く疎ましいという感情が心の中でずっとくすぶり、理沙子の精神を追い詰めていく。夫も義父母も子育てには協力的だが、言いようのない孤独と不安は、理沙子に付きまとい、どんどんと増殖していく。
子どもを持った母親ならそんな感情が理解できるだろう。それどころか、その時のことを思い出して恐怖を感じるかもしれない。しかし、男性や子どもを持ったことのない女性にも、息苦しさや不安な感情が伝わってくる。それは著者の巧みさのなせる技で、無償の愛とエゴを併せ持つ人間の本質を描き出しているからに他ならない。「社会を震撼させた乳幼児の虐待死事件と“家族”であることの心と闇に迫る心理サスペンス」と帯に書かれているが、家族の光と闇を浮き彫りにし、波風の立っていない表面上にある日常の中にある闇をえぐるサスペンスである。のぞきたくはないが、同書を読めばその闇の正体がはっきりするかも知れない。
【著者】角田光代【定価】本体1600円(税別)【発行】朝日新聞出版