Special Interview 山崎秀晃(K-1・ファイター)

 盛り上がりを見せる新生K-1で、中心となり活躍しているファイター・山崎秀晃。主戦場としていたKrushでは、?65㎏と?63㎏で王者となり、2階級を制覇。そのままの勢いで出場した、K-1 WORLD GP 2016 ~?65kg日本代表決定トーナメント~では、並み居る強敵を押さえ、優勝を飾った。自分を形成したという高校時代を岡山で過ごした山崎が、岡山の思い出と格闘技にかける熱い思いを語る。

撮影・上岸卓史

20年を超える格闘技人生で一番厳しい練習をしたのが岡山の高校時代。
それがあったから今の自分がある。大切な仲間との出会いも含め、今の僕が形成された岡山は第二の故郷です。

親元を離れ15歳で単身岡山へ

 出身は京都なんですが、高校は空手のスポーツ特待生として、おかやま山陽高等学校に入学しました。小さな頃から空手をやっていて、それなりの成績を残していたので、お声をかけていただいたのですが、もともと自分の通っていた道場の先輩もその学校にスポーツ留学をしていたこともあり、道場と学校は縁があったので、自分もそんなに抵抗はありませんでした。ただ、15歳で親元を離れるという事、そして初めての寮生活という事にはものすごく不安はありました。今振り返ると、よく決断したなと思いますね。しかし、それを決断したのは、やはり空手が強くなりたかったから。その時は分からなかったけど、その時に岡山に行かなければ今の自分はなかったと思うので、そういう意味では人生の転機が岡山だったといえるんじゃないかな。イメージ…行く前は桃太郎のイメージしかなかった(笑)。京都からしたら田舎だし、学校も寮も田舎のほうにあったので、行く前とあまり印象は違わなかったですね。まあ、田舎です(笑)。自分が住んでいた寮は新倉敷駅の近くで、学校が寮から自転車で50分ぐらい。空手部は電車を使ったらダメなんですよ。雨の日はカッパを着て自転車なので、入学の時にカッパを買わされました(笑)。軽い自転車を買って、明日から張り切って行こうと思っていたら、先輩に自転車を取られて、ボロボロの錆びた自転車で通学したことも何度もありました(笑)。それはもう、先輩には逆らえないですから。岡山の思い出は、とにかく空手の練習が厳しかった事しかないです。高校生だったので、休みの日に駅前に繰り出して…なんて思わなかったし、近くのゲームセンターに行くぐらいでしたね。洋服を買うっていっても坊主頭だし、眉毛も剃ったらダメ、携帯電話も禁止。だからファッションに気を使うという発想もなかった(笑)。でも、いつも思うのは、岡山時代がなければ、今の自分はないということ。そして、岡山では一生付き合っていくだろうと思える友達ができたのが財産です。空手部の仲間だけではなく、クラスメートは京都から来たバリバリの関西弁の僕を受け入れてくれたし、今でもすごい強い絆で結ばれている。そんな友達との体育祭とか文化祭はいい思い出ですし、その友達たちが僕を応援するグループラインとか作ってくれたり、わざわざ試合会場に応援に来てくれたり。本当にちゃらんぽらんな自分にみんなよく付き合ってくれたなと感謝です。

応援してくれる人たちの声で続けてこられた

 岡山の高校を卒業し、京都に帰り専門学校に入学したんですけど、なんかちょっとしっくり来なくて…。6歳からずっと空手をやっていたので、闘わないと物足りない自分がいた(笑)。それで軽い気持ちで街のボクシングジムに通い始めたんです。3年間の専門学校在学中、ジムに通っていて、だんだんとアマチュアの大会に出るようになり、結構簡単に優勝とかしちゃったんですね。それで勘違いも入りつつ、当時全盛期だった魔裟斗選手に、本気で挑んだら勝てるんじゃないかと(笑)。それで、挑戦してみるのもありかなと思い、上京して本格的に格闘家を目指すことにしました。K-1に出たいというのが大きな目標だったので、上京後はK-1に出ている選手が多いジムに行こうと思い、今所属しているチームドラゴンとシルバーウルフに見学に行こうと。最初にチームドラゴンで前田先生にお会いしたんですけど、“明日も見学においでよっ”て言われて。見学は1日でいいんだけどなって思ったんですけど、行ったら“家を紹介してあげるから選んでおいで”って不動産屋さんの担当者の名刺を渡された(笑)。でも、まあそこまで言ってくれるなら、ここで人生を変えてやろうと思い、チームドラゴンにお世話になることにしました。結局シルバーウルフには見学にも行かなかった(笑)。でも、結果的には今のジムに入って良かったと思っています。今、21歳の自分に声をかけるなら、“よくチームドラゴンを選んだな。結果的に正解だぞ”って言いますね。で、上京して2?3年後に魔裟斗選手が世界王者になったんですが、そこからK-1がすたれていって…。苦しい時にも、絶対にK-1に出るということをモチベーションにやってきたので、K-1という舞台がなくなってしまった時はどうしようと…。ただ、その時はKrushでチャンピオンとしてやらせてもらっていて、応援してくれる人もすごく増えていたので、K-1がなくても、自分のキックボクシングにかけた人生を最後まで全うしようという思いで戦っていました。その後、新生K-1として復活し、今盛り上がりを見せているのは、素直にうれしいです。ただ、念願のK-1の舞台に立ててうれしいというより、もうひとつ大きな舞台で勝つことで、応援してくれる人たちをまたワンランク上の喜びに持っていけるのがうれしいという感覚でしたね。上京して10年、応援してくれる人に励まされて続けてこられたというのはあります。

撮影・上岸卓史

因縁のリベンジマッチ

 9月19日には、2年前に大怪我を負わされて負けたゲーオとのタイトルマッチがあります。僕を応援してくれる、見てくれる、携わってくれる人たちは、いつか倒してくれと思っていると思いますし、自分自身、倒せるところまできたと思う。決まった以上は必ず勝ちますし、それも僅差ではなく、誰が見ても明確な差が出るような勝ち方をする。そしてチャンピオンベルトを取って、仲間のみんなと分かち合いたい。それを見てくれているファンの人たちも、やっぱり山崎の試合は面白いなと感じていただき、また火がついてくれたら面白いと思います。人生かけて勝ちます。

夢を持つことは覚悟がいる

 僕は夢を持つことに対して結構シビアで、厳しい目で見ています。夢を持つことはいい事ですが、それに向かってがむしゃらに努力できる人しか夢は叶わないと思うし、その覚悟がなければ、その夢を追うのはやめたほうがいい。誰もが1番になれるわけじゃないし、本当に社会は厳しいです。実際、夢ばかり追いかけて挫折する人のほうが多い。だから夢は追い続ければ必ずかなうなんてきれいな言葉はあまり好きじゃない。でも、それに向かって誰よりも努力をすれば、頂点にも行けるんです。生半可な覚悟なら僕はやめたほうがいいと思うけど、逆に本気なら死ぬ気でやれと。僕自身、一番厳しい練習をした岡山で過ごした時間がなければ、今自分はここに立っていない。それだけやって、今の自分がいます。そんな自分の姿を岡山の方に見ていただき、何か感じてもらえたらうれしいです。

1987年2月5日生まれ、京都府出身。2008年、上京し現在も所属するチームドラゴンに入門。2009年6月14日に22歳でプロデビューを果たす。2013年3月20日にKrush ?63kg王座を、2015年11月14日にはKrush ?65kg王座を獲得している。2016年3月4日 K-1 WORLD GP 2016 ~-65kg日本代表決定トーナメント~に出場し、準々決勝で左右田泰臣を2RKO、準決勝で久保優太を3RKO、決勝で野杁正明を判定で下し、優勝。 第4代Krush-65kg王者。第3代Krush-63kg王者。2016年9月19日(月・祝)東京・国立代々木競技場第二体育館では、K-1 WORLD GP スーパー・ライト級タイトルマッチに出場。ムエタイ新最強伝説を誇るゲーオ・ウィラサクレック(WSRフェアテックスジム)に挑む。K-1ジム・チームドラゴン所属。