監督・西川美和 × 主演・本木雅弘 初タッグの2人が紡ぐ、新しい家族の物語。『永い言い訳』
撮影・蔦野裕
監督として役者として求めるもの
縁がないどころか、運命的につながっていたかのような2人。
本木「結果的には寝かせた時間があって良かったと思えましたしね」
西川「でも、最初ふてくされてらっしゃいましたよね(笑)」
本木「あれは何というか、不安からくる自分へのいら立ちです。役者というのは、本心からでもフリでも、監督に結果、気に入られたいという思いが常にあるんです。西川監督の心に立ち入りたい気持ちがありつつ、本当に僕を認めてくれているのかという懐疑心とか。撮影中にも、使う以上は僕がどんなダメでも上手く使ってねという期待心とか、さまざまな気持ちが働いて混乱している自分を、結果的には読まれていたんでしょうね」
西川「ここまでの長い時間に、本木さんをすごく傷つけてしまったんだということを自覚しました(笑)。ただ私は、そんな本木さんの姿に、私に対してというより、本当の意味で新しい作品に出会いたいという俳優としての、人間としての本木さんの希求のようなものを感じたんです。この作品で、一緒に目指す場所にたどり着けたら、と思いました。ほぼ初対面のような相手に、傷ついた胸の内も含め複雑な思いを明かしてくれた本木さんとなら、できると思ったんです」
本木「僕も、脚本を読んですっかり引き込まれて、完全に離れられなくなってしまいました。そこには、幸夫たちが醸し出す人間関係の不確かさのなかで、さまざまな思いを抱えたり乗り越えたりをしながら自分と向き合っていくという、普遍的な人間性が描かれていた。単に納得するのではなく、幸福について考える自分がいました。これは自分一人が共感しているのではなく、広く多くの人にさまざまな形で入り込んでいくテーマなんだろうと思いました。西川さんは希求を感じたと言われたけれど、自分の中では案外な賭けだと思っていました。お芝居とはいえ、自分のゆがんだ自意識を画面にさらすことへの躊躇や、見る側もそんなもの見たいだろうかという思いがせめぎ合っていて。でも結局、この映画が厄払いになり役者としてもう一歩進めたんじゃないかと思っています。幸夫に共感し体現したことで、結果的に実人生も滑らかになったんです」
西川「具体的にどのように?」
本木「原作の中に、最も身近な人間に誠意を欠いてしまうのはどういうわけなのだろうというフレーズがありますが、まさに僕もそういうことをしてきたんです。身内に対して感謝を表現できず、そういう人間だからと開き直っていた。距離感や関係性を自分がコントロールしようとしていた。映画のなかにも“人生は他者だ”という言葉がありますが、この作品を通して改めて、他者に自分の存在意義を教えてもらえているんだなと気づかされたんです。願わくば、お互いが生きて向き合っている間に、その気持ちを表現できるのが理想ですよね。今では感謝や愛情を身近な人間に少しでも伝えるようになりました」
西川「言わないようにしてきたことを言うようにしたとき、すごく勇気が要りませんでした?」
本木「要りました。でも実はそういうことも訓練しだいで言えるようになるらしいですよ。義母の樹木希林さんがガンを患っているんですが、あんな樹木さんでも当然辛くなるときがある。そんなときは、誰もいなくても形だけ笑顔を作ってみるのよ、と仰っていた。そうすると、ポンプが地中深くから水を汲み上げるように、渇いた心が潤うことがある。要は訓練なんだと」
縁がないどころか、運命的につながっていたかのような2人。
本木「結果的には寝かせた時間があって良かったと思えましたしね」
西川「でも、最初ふてくされてらっしゃいましたよね(笑)」
本木「あれは何というか、不安からくる自分へのいら立ちです。役者というのは、本心からでもフリでも、監督に結果、気に入られたいという思いが常にあるんです。西川監督の心に立ち入りたい気持ちがありつつ、本当に僕を認めてくれているのかという懐疑心とか。撮影中にも、使う以上は僕がどんなダメでも上手く使ってねという期待心とか、さまざまな気持ちが働いて混乱している自分を、結果的には読まれていたんでしょうね」
西川「ここまでの長い時間に、本木さんをすごく傷つけてしまったんだということを自覚しました(笑)。ただ私は、そんな本木さんの姿に、私に対してというより、本当の意味で新しい作品に出会いたいという俳優としての、人間としての本木さんの希求のようなものを感じたんです。この作品で、一緒に目指す場所にたどり着けたら、と思いました。ほぼ初対面のような相手に、傷ついた胸の内も含め複雑な思いを明かしてくれた本木さんとなら、できると思ったんです」
本木「僕も、脚本を読んですっかり引き込まれて、完全に離れられなくなってしまいました。そこには、幸夫たちが醸し出す人間関係の不確かさのなかで、さまざまな思いを抱えたり乗り越えたりをしながら自分と向き合っていくという、普遍的な人間性が描かれていた。単に納得するのではなく、幸福について考える自分がいました。これは自分一人が共感しているのではなく、広く多くの人にさまざまな形で入り込んでいくテーマなんだろうと思いました。西川さんは希求を感じたと言われたけれど、自分の中では案外な賭けだと思っていました。お芝居とはいえ、自分のゆがんだ自意識を画面にさらすことへの躊躇や、見る側もそんなもの見たいだろうかという思いがせめぎ合っていて。でも結局、この映画が厄払いになり役者としてもう一歩進めたんじゃないかと思っています。幸夫に共感し体現したことで、結果的に実人生も滑らかになったんです」
西川「具体的にどのように?」
本木「原作の中に、最も身近な人間に誠意を欠いてしまうのはどういうわけなのだろうというフレーズがありますが、まさに僕もそういうことをしてきたんです。身内に対して感謝を表現できず、そういう人間だからと開き直っていた。距離感や関係性を自分がコントロールしようとしていた。映画のなかにも“人生は他者だ”という言葉がありますが、この作品を通して改めて、他者に自分の存在意義を教えてもらえているんだなと気づかされたんです。願わくば、お互いが生きて向き合っている間に、その気持ちを表現できるのが理想ですよね。今では感謝や愛情を身近な人間に少しでも伝えるようになりました」
西川「言わないようにしてきたことを言うようにしたとき、すごく勇気が要りませんでした?」
本木「要りました。でも実はそういうことも訓練しだいで言えるようになるらしいですよ。義母の樹木希林さんがガンを患っているんですが、あんな樹木さんでも当然辛くなるときがある。そんなときは、誰もいなくても形だけ笑顔を作ってみるのよ、と仰っていた。そうすると、ポンプが地中深くから水を汲み上げるように、渇いた心が潤うことがある。要は訓練なんだと」