【Special Shoes Story】靴にまつわるマイストーリー テリー伊藤

「おしゃれは足元から」というのは不変のルール。大人はそのフレーズを聞かされながら大きくなり、小さな子供たちもそのフレーズを胸に大人になっていく。独特な装いで注目を集め続ける、テリー伊藤もそうして大人になった一人だ。

撮影・蔦野裕

人はね、紐のある靴を履かなきゃダメだと思うんだ

 テリー伊藤が、「おしゃれ」の概念に目覚めたのは小学5?6年生の頃だそう。

「おしゃれっていろいろあると思うんだけど、言っちゃえば、色気づいていくことじゃない? 女の子にモテたいとかさ。その頃の日本は貧しかったし、それこそモノクロの写真なんか見ると分かると思うけど、男はみんなズックを履いてましたよ、綿の、運動靴のようなものを。そんな時にさ、築地の靴店の息子がさ、チャッカーブーツっていうのかな、ビニールなんだけどね、そういうのを履いて、すごく欲しかったの覚えてるよ(笑)」

 小学生で「おしゃれは足元から」を意識していたともいえる末恐ろしい少年。ティーンになると、その通りになる。

「中学2年生だったかな。その頃にはスニーカーを履くようになるんだけど、まだ黒か白しかない。どちらかというのが当たり前だった。でも僕は、まだ日本には売っていないピンクのスニーカーがすごく欲しくなるんだ。当時フィフティーズが流行っていて、女の子にはピンクのスニーカーっていうのがあって。すごいかわいかった。で、どうしたかっていうと、白いスニーカーを染めるんだ。セーターを染める染め粉を買ってきて、スニーカーを煮て、ピンクにした。これはね、みんなに衝撃を与えたね(笑)」

 高校生になって横田基地の近くでウェスタンブーツを作ったかと思えば、大学生になった伊藤青年は「デヴィッド・ボウイみたいな、シルバーのロンドンブーツ」を原宿でオーダーする。靴だけでもかなりのキャッシュをつぎ込んでいる。「そうだね、お金ないね。だから親だよね」と、少しだけバツが悪そうだ。

「帽子と靴は特別なんだ。例えばさ、ドラマの“逃げ恥”でさ、星野源くんがしていたようなファッションあるでしょう、シンプルな。でも靴をキラキラしたものにしたら。……それだけでアナーキー」

 スニーカー、ローファー、ブーツ、ドライビングブーツ、そして、アナーキーな靴。いろんな靴を履いてきた。そのなかで最も印象に残っているのが70年代に出会った「EARTH SHOES」だという。

「地球の上を歩くのに最も適した靴……そんなふうに言って出てきたんだよ。つま先のほうに行くにしたがって広がっていくしゃもじのような形をしていて、かかとの部分が低くなってる。モテたい、デザインがいいとかいうのよりも、地球、環境という要素を最初に持ってきた靴だと思うの。すごいなって思って。すぐに履いたし。今も履いてる(笑)」

 実はこの靴、ヒト本来の歩き方を追求してデザインされた靴。ある意味、履き心地を追求していったひとつの形なのだ。

 すると、「そういえば、この靴、すごいね。履いているのを忘れちゃう」と、テリー。履いているのは、1時間ぐらい前にHAKI-GOKOCHIで試し履きし、気に入ってそのまま購入したもの。

「今の靴だよね、すごく軽い。僕が履いてきたのは10年ぐらい前の靴だけど全然重さが違う。靴を買う時にはまずデザインっていうのはやっぱり変わらないんだけどさ、その次は履き心地。そのバランスが大切。とはいえ、履き心地はより重要視するようにはなってきているけどね」

「靴をかわいがるのが好き」だと、いう。

「この靴もさ、家に戻ったら、オイルをつけてさ、磨いてやるんだよ。靴底が減ってきたら張り替えたりしてもやる。どんな靴でも、靴をかわいがるのが好きなんです。そうする行為が楽しい。サラリーマンでも、野球やサッカーする子供たちでもさ、かわいがってるかどうかって分かります。靴をかわいがっている人ってみんなかっこいい、なんか、信用したくなる。だから俺も、かわいがり続けたいと思うんですよ」

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