銀行、外資系CAから起業のスーパーウーマン 「ブランディングはファン作り!」 株式会社ファーストブランド 代表取締役 河本扶美子
「ブランディング」することによって企業や個人の活躍をサポートする、株式会社ファーストブランド。代表を務める河本扶美子さんが、2002年にたった1人で立ち上げ、現在では、ウェブインテグレーション、あらゆる分野のプロフェッショナルをサポートする『マイベストプロ』、そして求人広告サイト『マイベストジョブ』と事業は拡大中だ。
都市銀行から外資系航空会社のキャビンアテンダント(CA)へ転身、そして、起業。河本さんのキャリア遍歴は、華麗というフレーズがしっくりくる。
「もとから起業家志向でした。きっかけは祖父です。油絵が趣味だった祖父は自分が描いた100枚の油絵をレンタルする事業、月に決まった金額を支払うと2週間ごとに絵が入れ替わるというビジネスを始めたんです。ニーズもあって事業は拡大し、それこそ「絵で日本を元気にしたい!」と東京に事務所を置こうと動き始めたそうです。段取りも整い、いよいよ始まるぞという時、お寿司屋さんで倒れてそのまま亡くなってしまった……幼いころにその話を聞いた時、子供ながらに企業ではなくて、一個人がそういうことを考えて行動することってすごいって、感銘を受けたんです。それから、おじいちゃんができなかったことを私がやる! なんて言っていました」
銀行に入ったのは「勉強嫌いだったから」。
「仕事で金融のことを学べる、という理由で入行しました。銀行で丸2年働いて、さて起業しようと思うと、当時は起業するなら、株式会社なら1000万円、有限会社なら300万円というお金が必要でした。銀行のOLでは貯まる額ではありません。それに加えて、深夜まで残業して外も見ないという生活を送っていて、起業したいという志はあるものの、具体的にどんな事業で起業したいのかが分からない状態でした。それで、お給料が良くて、比較的自分の時間が取れて、広く外を見られること、そしてサービスが好きという理由で外資系航空会社に入社するんです」
「目標は30歳で独立。35歳までに独立できなかったら諦めよう」と考えていたそうだが、CAの仕事は面白すぎた。独立の目標は1年、2年と伸び、「うじうじしながら」さらに数年。しかし35歳の時にきっぱり退社する。
退社後は起業準備のために、苦手だったパソコン教室に通う日々。画面に向かい続けること約1年、2002年に株式会社ファーストブランドの前身となるファーストブランド工房を立ち上げた。現在同様、「人だったり、商品であったり、“ブランディング”をすることで、地域や日本を元気に、活性化していこうという会社」だ。社員は河本さんたった1人で、小さなSOHOオフィスからのスタートだった。
「航空会社時代に、日本とアメリカを行き来する生活のなかで知ったのが“ブランディング”でした。今後どの分野も激しいグローバル化が進むうえで、自身の強みに気付きアピールする必要性を痛感したのです。しかし、当時の日本で“ブランディング”や“ブランド”というのは、高級なバッグとかそういうイメージで、仕事になる雰囲気はほとんどありませんでした。特に関西では“それって何なの?”って反応で。いろんな地獄も見ましたね」
企画書を書いては、売り込みの毎日。CA時代に独立後の協力を約束してくれた人を訪問すると門前払いなんてこともあったそうだ。それでも、その悔しさをエンジンに、資本金を切り崩しながら奔走。タダ同然の金額でセミナーを行ったりして、初年度の年商は8万円。お金を稼ぐことの大変さを改めて知ったという。