インタビューシリーズ【 LDH バトン ~夢~】Vol.17 EXILE ÜSA (EXILE、DANCE EARTH PARTY)
「自分の夢を信じて、叶うまでやり続ける」
--子供のころの夢を教えてください。
ジャッキー・チェンですね。小学校の頃にカンフー映画で彼を見て、次の週から拳法を習い始めました。ジャッキー・チェンにあこがれたのもあるんですけど、単純に修行をしたくなったんです。めちゃくちゃハマって毎日稽古していました。
--その頃を振り返ると、自分はどんな子供でしたか?
体が弱かったんです。親は僕が今みたいにこんなに元気に踊れるようになるなんて、思っていなかったんじゃないかなと思います。体が弱かったこともそうですし、人の前で何かをするとか目立ちたがり屋のタイプでもなかったですし。遊ぶ時にはアイデア出しをするタイプではあったかな。こういうゲームを思いついたから、みんなでやろうぜ!って。それは、今にもつながってるのもしれないですね。
--ジャッキー・チェンを目指していた少年がダンスやパフォーマーを志すようになったのはなぜですか。
ダンスを始めたのは中学生のころですが、転機といえば、いよいよ高校を卒業するというときに、もっとダンスがうまくなりたいからニューヨークに行くっていう選択をしたことでしょうね。プロになりたいって腹が決まるのはもう少し後、21歳の頃になります。ドリカム(Dreams Comes True)さんの日本武道館公演のステージに1日だけ立たせてもらえたんです。その時に、今度は自分たちがアーティストとして、この会場を満杯にしてライブできるようになりたいと思ったんです。
--その夢を実現するために何をしましたか?
何をした……ずっと踊ってました。端から見たらそれは「努力」だったってことなのかもしれないですけど、その頃の僕はダンスに夢中になっている状態で、寝ても覚めてもダンスのことしか考えていませんでした。道を歩いていてもどうしたら格好よく歩けるかなって考えてたり、すべてが夢につながっていたんです。強いて何かっていうのであれば、日本の音楽で踊ってデビューすることが目標になってから、日本語の歌詞をどうやって体で伝えるのかを研究するようになったことかなと思います。それまでは洋楽、HIPHOPで踊ってきたけれど、これからは日本語なわけですから、言葉の意味を大事にしながら踊ることを考えるようになりました。表現力のスキルアップですね。
--夢は実現した、と思っていますか?
路上踊っていたころ描いていた夢はすべて実現しました。でも、あのころより影響力を持つところに来たからには、ダンスを使って世の中の役に立ちたいって思うようになりました。そこからはまだスタートラインに立ったところかなと思っています。
新しい共通言語「ダンス語を作りたい」
--いまの夢は何ですか?
40歳になって人生80年っていうのなら半分まで来たということになります。今回の人生で何を残せるのかなって考えるとき、ダンスを通じて世界平和に貢献したいというのがあるんです。
--その大きな夢を実現するためにしていることはありますか?
いまやりたいと思っていることに、世界中にダンススクールを作って「ダンス語」っていうのを発明することがあります。世界の子供たちが世界中に友達を作れたなら、戦争は少なくなっていくと思うんですよ。友達のいる国にミサイルを落とそうなんて思わないでしょ。世界の子供たちが集まる場で、共通の言葉があったら、早く友達になれると思うんです。もちろん英語とかスペイン語とか言葉もありますけど、ダンス語で踊って気持ちを話せたらすごくハッピーだなと思うので。それを完成させて広めていきたい。
--夢を叶えるためのアドバイスをお願いします。
自分も夢を叶えたうちの一人として思うのは、叶うまでやり続けるってこと。そして、それを信じること。そんな夢を叶えるなんて現実的に無理だっていってくる人もいると思うけど、そういう人はきっと途中であきらめちゃった人だと思う。そういう囁きは聞かなくてもいい。絶対にやるって決めて、やること。そうしていくと、最初に設定した夢が叶わなかったとしてもその間に新しく出会う夢が絶対あるから、それを自分にカスタマイズしていけばいい。とにかく決める。その覚悟が近道かな。
--子供のころの夢を教えてください。
ジャッキー・チェンですね。小学校の頃にカンフー映画で彼を見て、次の週から拳法を習い始めました。ジャッキー・チェンにあこがれたのもあるんですけど、単純に修行をしたくなったんです。めちゃくちゃハマって毎日稽古していました。
--その頃を振り返ると、自分はどんな子供でしたか?
体が弱かったんです。親は僕が今みたいにこんなに元気に踊れるようになるなんて、思っていなかったんじゃないかなと思います。体が弱かったこともそうですし、人の前で何かをするとか目立ちたがり屋のタイプでもなかったですし。遊ぶ時にはアイデア出しをするタイプではあったかな。こういうゲームを思いついたから、みんなでやろうぜ!って。それは、今にもつながってるのもしれないですね。
--ジャッキー・チェンを目指していた少年がダンスやパフォーマーを志すようになったのはなぜですか。
ダンスを始めたのは中学生のころですが、転機といえば、いよいよ高校を卒業するというときに、もっとダンスがうまくなりたいからニューヨークに行くっていう選択をしたことでしょうね。プロになりたいって腹が決まるのはもう少し後、21歳の頃になります。ドリカム(Dreams Comes True)さんの日本武道館公演のステージに1日だけ立たせてもらえたんです。その時に、今度は自分たちがアーティストとして、この会場を満杯にしてライブできるようになりたいと思ったんです。
--その夢を実現するために何をしましたか?
何をした……ずっと踊ってました。端から見たらそれは「努力」だったってことなのかもしれないですけど、その頃の僕はダンスに夢中になっている状態で、寝ても覚めてもダンスのことしか考えていませんでした。道を歩いていてもどうしたら格好よく歩けるかなって考えてたり、すべてが夢につながっていたんです。強いて何かっていうのであれば、日本の音楽で踊ってデビューすることが目標になってから、日本語の歌詞をどうやって体で伝えるのかを研究するようになったことかなと思います。それまでは洋楽、HIPHOPで踊ってきたけれど、これからは日本語なわけですから、言葉の意味を大事にしながら踊ることを考えるようになりました。表現力のスキルアップですね。
--夢は実現した、と思っていますか?
路上踊っていたころ描いていた夢はすべて実現しました。でも、あのころより影響力を持つところに来たからには、ダンスを使って世の中の役に立ちたいって思うようになりました。そこからはまだスタートラインに立ったところかなと思っています。
新しい共通言語「ダンス語を作りたい」
--いまの夢は何ですか?
40歳になって人生80年っていうのなら半分まで来たということになります。今回の人生で何を残せるのかなって考えるとき、ダンスを通じて世界平和に貢献したいというのがあるんです。
--その大きな夢を実現するためにしていることはありますか?
いまやりたいと思っていることに、世界中にダンススクールを作って「ダンス語」っていうのを発明することがあります。世界の子供たちが世界中に友達を作れたなら、戦争は少なくなっていくと思うんですよ。友達のいる国にミサイルを落とそうなんて思わないでしょ。世界の子供たちが集まる場で、共通の言葉があったら、早く友達になれると思うんです。もちろん英語とかスペイン語とか言葉もありますけど、ダンス語で踊って気持ちを話せたらすごくハッピーだなと思うので。それを完成させて広めていきたい。
--夢を叶えるためのアドバイスをお願いします。
自分も夢を叶えたうちの一人として思うのは、叶うまでやり続けるってこと。そして、それを信じること。そんな夢を叶えるなんて現実的に無理だっていってくる人もいると思うけど、そういう人はきっと途中であきらめちゃった人だと思う。そういう囁きは聞かなくてもいい。絶対にやるって決めて、やること。そうしていくと、最初に設定した夢が叶わなかったとしてもその間に新しく出会う夢が絶対あるから、それを自分にカスタマイズしていけばいい。とにかく決める。その覚悟が近道かな。
EXILE ÜSA(えぐざいる・うさ) 2月2日生まれ、神奈川県出身。1994年からダンスチームやダンスユニットで活動。1999年にEXILEの前身となるJ Soul Brothersに加入、DREAMS COME TRUE武道館ライブのサポートメンバーとして参加。2001年夏からEXILEとして活動をスタートし、2015年12月31日のEXILEパフォーマーを卒業した。EXILEでの活動と並行して、2006年のキューバの旅をきっかけに世界中をダンスでつなぐプロジェクト「DANCE EARTH」をスタート。2015年には音楽ユニットDANCE EARTH PARTYが本格始動。3月14日に最新シングル『Anuenue』をリリース。Eテレ『Eダンスアカデミー』(毎週金曜午後6時55分~)などに出演中。