個人の思い出を、みなで共有できる場所に!「津軽の味 食堂部」が目指す“地域の交差点”としての役割
子どもの頃に足繁く通った駄菓子屋やゲームセンターが、いつの間にか無くなっていたときの寂寥感。久しぶりに地元を訪れたときに痛感する今昔の移り変わりは、時代の月日を否応なしに突きつけられた気分になる。
青森県青森市にある「津軽の味 食堂部」は、約50年間、地元の子どもたちや学生たちが集う“交差点”として愛され続けてきた時代の忘れ形見のような存在だった。ところが、店主の他界により7年前に閉店の憂き目に遭う。
「僕も、子どもの頃に“入り浸っていた”一人なんです」と笑うのは、昨年、復活を遂げた同店を切り盛りする現店主・細川博史さん。有志の手によって、6年ぶりによみがえった「津軽の味 食堂部」。その背景には、古き良き地域愛が詰まっていた――。
「きみが帰ったら部屋ががらんとしちゃったよ。でも、すぐになれると思う。だから……心配すんなよ」
『さようなら、ドラえもん』の回で、のび太が発するこのセリフは、多くの人が共感できるフレーズではないだろうか。人なのか場所なのか、ぽっかりと心に穴が開いてしまった要因が何であるかは人それぞれだろうが、そこにあったものがある日突然なくなることは、戸惑いと強がりを併合したような何とも言えない気分にさせる。
「津軽の味 食堂部」は、1963年(昭和38年)、県総合運動公園そばで営業を開始した。当初は、運動公園を作るための作業員の方々の休憩の場、食事の場としてオープンしたが、青森県内の陸上や水泳の大会などが行われるにつれ、運動部の学生たちや周辺学校生徒の憩いの場として根付いていくようになる。60年代の高度経済成長、70年代の第二次ベビーブーム……蜂の巣をつついたように子どもが遊び回っていた時代、「津軽の味 食堂部」は、先代店主である工藤嘉巳さん(通称・おっちゃん)を中心に、年代も性格もバラバラな子どもたちが集まる地元の聖地として機能し始めた。
「こわいひとに追いかけられても、ここに逃げ込めばおっちゃんが追い払ってくれました(笑)。いろいろなタイプの学生が集っては、知らないうちに仲良くなったり。特に理由がなくても、ここに来れば何かしら楽しいだろうって思える場所だったんです。彼女ができたとき、大人になって就職が決まったとき、子どもが産まれたとき……大人になっても定期的に訪れていた人は、僕以外にもたくさんいました」
後に、お店を復活させ、現在の店主となる細川博史さんが語るように、OBからも愛される場所だったが、2011年に工藤さんが逝去したことをきっかけに、長い歴史に幕が下ろされる。県総合運動公園の横に、解体されることなく残り続けた建物は、いつしか地蔵尊のように地域を見守る遺産へと役割を変えていった。
「すぐに慣れる」と思っていても、やっぱり寂しいものは、そのままずっと寂しいものだろう。壊されるわけでもなく、がらんとしている空間がそこにあり続ける限り、思い出してしまう。
「自分も小学生の子どもを持つ父親として、少年期に「津軽の味 食堂部」のような場所があったら、子どもにとっても良いのではないのかなって思うところがありました。実際、自分の子どもも外であまり遊ばなくなっていて。子どもたちが気軽に行けるような地域に根付いた場所があれば、子どもたちだけはなく、地域活性にも役に立てるのではないかと思ったんです」
2016年、細川さんは、自らの思いに賛同してくれた数人の同志と共に、同店の再生、継承を決意する。クラウドファンディングなどを利用して運転資金を他者に頼るといった方法ではなく、心から「このお店をよみがえらせたい」と思っている人たちの思いのみで復活を目指した。
「想像以上に大変だった」と細川さんは頭を掻くが、少年のような表情で当時の様子を振り返る。
「本当にオープンできるか不安だったこともあり公表していなかったのですが、改装中に段々とバレていきまして、ハハハ。皆さんから、「応援しているよ」という言葉をたくさんいただきましたし、協力してくれる方も増えてきて、このお店が愛されていたんだなって改めて痛感しました」
“俺たちのTIMEZONE”から“みんなのTIMEZONE”へ
中でも苦労したのは、当時の看板メニューである「バリバリフランキー」と「チャーシューおにぎり」の再現だ。地元民にしか通じない謎のフレーズが、その土地土地には根付いているが、ここ青森では「バリバリフランキー」と「チャーシューおにぎり」が、子ども時代の重要な民俗学的フレーズとして、成長した元・子どもたち(現・大人)の胸に残り続けている。一部の同郷の人にしか通じない謎のフレーズが多ければ多いほど、もしかしたら子どものときの記憶というのは潤沢なのかもしれない。
食堂部の味でもあった、この聞きなれない定番メニューを復活させることが、そのまま子ども時代へとタイムスリップさせる乗車券となる。方々から「絶対に復活させてほしい」というリクエストが届くほどの2大メニューだったが、レシピが存在しておらず、記憶を頼りに試行錯誤を重ねていくしかなかったという。
「伝手をたどっていくと、お肉を卸していた精肉店が判明したり、旧友に味見をしてもらって細かな味付けを微調整したり、大変だったんですけど……何というかタイムカプセルを掘り起こすような楽しさがありました」
頬を緩ませる細川さんの姿が象徴するように、思い入れがある人たちによって、大切なものを再構築していくプロセスは、何事にも代えがたい。純粋な気持ちから始まった再生計画は、2017年7月、無事に新生「津軽の味 食堂部」として再出発を飾る。
「オープン直後に、高校総体が県総合運動公園で開催されたのですが、「前回は閉まっていたのになんで開いているの!?」なんてたくさんの方に声をかけていただきました。その日は目が回るくらい忙しかったのですが、同時にとても幸せな気持ちになりました(笑)。やっぱりこういう場所って、失くしてはいけないんだなって」
壁や天井にところ狭しと貼られている90年代の広告ポスターの数々、何に使うのかよく分からない機械類、清潔感とハイブリットさがない交ぜになった内観……30代以上の大人は、その懐かしさに涙腺が崩壊してしまうかもしれない。ポスターとして貼られている男闘呼組の『俺たちのTIMEZONE』というコピーが、胸を締め付けてきやがるッ! これほどまでに、このキャッチコピーが似合う場所を、筆者は知らない。
関係のない人間ですら、よみがえった「津軽の味 食堂部」に足を踏み入れると、ワケの分からない懐かしさを覚えてしまう。たいして飲みたくもないのに、レモンスカッシュやドクターペッパーを買いたくなってしまう場所が、我々にはあったはずだ。だが、ほとんどは消失し、心の奥に眠らせる以外に、その存在を留める方法がないことも事実だろう。
だからこそ、平成も終わろうというこのご時世に「津軽の味 食堂部」のような存在があることが、元・子どもの一人としてうれしい。「そんな時代もあったね」で終わらせない思いが、凝縮されている。
「単に復活させるだけではなく、地域のコミュニティースペースとしても活用できるようにアップデートしています。上映会やイベントなども開催することで、このお店を地域の交差点として機能させることが、おっちゃんへの恩返しでもあると思っています。
もちろん、かつて200円を握りしめてここに通った僕たちのように、今の子どもたちも通ってくれるような雰囲気を作っていきたい。僕たちの食堂部から進化させて、世代や垣根を越えて、子どもからお年寄りまで集う食堂部にすること。そういう場所が一つくらいないと、つまらなくなっちゃうと思うんですよね」
取材の際、偶然、細川さんの学生時代の同級生がお店を訪れ、十数年ぶりの再会を果たす瞬間に立ち会った。ママさんになっていた女性は、自分の娘にバリバリフランキーの魅力を楽しそうに語り、細川さんと食堂部の思い出に花を咲かせていた。たしかに偶然だろう。でも、それを生み出す装置があるか否かで、だいぶ人生は変わってくる。あるべきものがあると、人生がだいぶ豊かになることを、この店は昔も今も教え続けている。
(取材と文・我妻弘崇)
【住所】青森市浪館近野11-5
【電話】080-8209-6957
【営業時間】11~19時(日によって変動あり)