【徳井健太の菩薩目線】第7回 場違いな感覚を持つ奴には近づくなかれ、世の中の1%はヤバい奴
“サイコ”の異名を持つ平成ノブシコブシ・徳井健太が、世の中のあらゆる事象を生温かい目で見通す連載企画「徳井健太の菩薩目線」。第6回目は、甲子園で話題を呼んだ“ノーサイン野球”に鑑みる教育論について梵鐘をつき鳴らす――。
どんなシチュエーションや状況においても、俺は「1%はヤバい奴がいる」と思ってるの。例えば、中川家さんの漫才って、漫才の完成形と言ってもいいくらい誰が見たって面白い。劇場で一緒になると、みんな笑っているから、ホント尊敬してしまう。ところが、よ~く見ると、1000人中10人くらい笑っていない奴がいる。世の中には、確実にズレている奴が、どんな場所にも1%はいるんだって再認識したんだよね。
日本の人口約1億2000万人の中の120万人はヤバい奴で、世界の人口約70億人の内の7000万人はヤバい奴ってこと。当然、シチュエーションいかにんよっては、俺たちも7000万人の一人ってわけ。“世の中を疑え”ってことだよね。絶対に安全なんてことはないんだよ。
ラブホテルに行くと、俺はいつも「リンスの中に精子を入れている奴っているんだろうな」って考えちゃうの。さすがに俺はやらないよ。でも、考え付いちゃう人間がいるんだから、多分、想像で満足できずに実行に舵を切る奴もいる。“世の中を疑え”ってこと。そういう奴は潜んでいるから。
しかも今なんて、100分の1が、マリオの“無限1UP”じゃないけど増殖していくでしょ。ツイッターの卵アイコンとか最たる例。ヤバい奴1人が10アカウントを持てば、一時的、局地的だとしても、10%はウザったい奴らで占められる。一人の意見としての含有率は落ちるけど、質より量に弱い客商売をしている人たちは、そんな意見でも気になっちゃう。だから俺は、「そもそも世の中の10%に対しては、聞く耳を持たなくていいんだな」と思っているの。世の中の1%はヤバい奴、10%は耳を貸さなくていい奴。
別に親しくもない人からムカつくことを言われても、「あ、こいつは10%の部類の奴なんだな」って思えばいいんですよ。俺も、「徳井は面白くない」って知らない奴から言われても何も思わないし。俺の中では、人口の中に入っていない奴だからね。空気人間。だって、自分の人生を思い返してみてよ。出会ってきた中で、仲良くなる人なんてせいぜい1~5%、まぁまぁ話すようになる人が10%~20%くらいじゃない? ってことは、約8割とは接点を持ったところで、「で?」って人たちなんだからさぁ。だから、俺はヤバそうな奴とか耳を貸したくない奴には、そもそも近寄らない。昔の人が言った、「知らない人にはついて行っちゃダメ」って、あれは真理だよ。5分の4でハズレなんだから。
ヤバい奴は、“場違いな感覚”に気が付かない
電車をはじめとした公共的なスペースにいるときもそう。俺は、自分に近寄ってくる奴がいると、「ヤバい、●される」と思って距離を取る。俺をじっと見てる奴がいたら、「ヤバい、泥棒がいる」と思って警戒する。疲れないんですか? って言われるけど全然疲れない。皆さんも海外旅行に行ったら、同じように自然とアンテナが高くなるでしょ。むしろ、日常的に繰り返すからこそ、察知する力が養われると思うけどなぁ。
じゃあ、そういうヤバい奴をどう見分けるんだ? って話だと思うんだけど、俺は一つの目安として、“場違いな感覚をしている人間”が挙げられると思うの。そのシチュエーションや場所とズレているってことは、もういろいろとダダ漏れている。子どもの授業参観に短パンで来るお父さんとか、お堅い打ち合わせにミニスカートで来る女性とか、みんながいるのに異常なほどヨイショをしてくる奴とか、ヤバいでしょ。「汝、場違いな感覚を持つ奴には近づくなかれ」ってことだよ。
まぁ、稀にそういう中に天才がいるんだろうけど、それを引き当てる確率と外れる確率を、今現在、自分が置かれている状況を基に考えて、どう判断するかだよね。そういう意味でも、察知する力を育てておいた方がいいと思うんだよなぁ。
あと、これは個人的な感覚なんだけど、マンガ喫茶とか個室ビデオ(ボックス)って、変な奴が多い。マン喫に行くと、だいたい風邪をひくんだけど、あれって風邪をバラまいている奴がいるとしか思えないんだよね。先述した「リンスに精子をいれる理論」だよ。
ヤバい奴だと思ったら、とにかく距離を取ったほうがいい。間違っても、興味本位でカメラを向けたり、相手をしたりするのは良くない。後々、「そういうつもりじゃなかった」って弁解しても、それが通用しないから“ヤバい奴”なんだよなぁ。
※【徳井健太の菩薩目線】は毎月10・20・30日更新です。