「スポーツカメラマンが選ぶ今年の1枚」特別編 フォトチーフから見た東京オリンピック・パラリンピック

AFLO SPORT 青木紘二

 現在TOKYO HEADLINE WEBで連載中の「AFLO SPORTの写真コラム【PHOTOIMPACT-プロの瞬撮-】」ではAFLO SPORTのカメラマンたちによる個性あふれる写真を掲載してきた。2018年がもうすぐ終わる今、彼らに「2018年の1枚」をテーマに写真のこと、カメラマンとしての矜持、そして彼らのパーソナルな部分を聞いてきたのだが、この企画の最後を飾るのはAFLO SPORTの総帥・青木紘二さん。青木さんには「2018年の1枚」をあげてもらい、2020年の東京オリンピック・パラリンピックについての話も聞いた。

青木さんが選んだ「2018年の1枚」は2018年2月16日、平昌五輪スケルトン女子のElisabeth Vathje選手を撮ったこの写真(撮影・青木紘二)

最大の課題・暑さ対策に頭を悩ます日々
 青木さんは2017年4月に2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会のフォトチーフに就任しました。2020年に向けて進行は順調なのでしょうか?

「今はだいたいフォトポジションが決まってきたところです」

 フォトチーフに就任後、最近は現場で写真を撮る時間はあるのでしょうか?

「非常に少ないです。うちのチームのメンバーが一生懸命働いてくれているので、僕が毎日行かなくても何とかなるんですけど、一応、責任者ですので、極力、組織委員会のほうに半日は行くようにしています。何といってもアフロという会社の仕事もありますし」

 あと2年という期間はフォトチーフという立場からすると「時間がない」という感じですか?

「そんなことはないです。時間はしっかりあると思います。ただ日本でやるオリンピックという期待が世界にはあるので、日本の組織として細部に渡り緻密に物事を決めていくので時間が掛かる事も確かです」

 2020年はもちろん自身も写真を撮られますよね?

「今のところは“撮らないでくれ”と言われているんです。立場上、カメラマン全員の面倒を見なければいけない。トラブルがあった時に答えを出すのが私の仕事なので、事務所にいてほしいと言われています。でもそれをどうやって処理しようかと考えているところ。気持ちとそこらへんの兼ね合いが難しいところなんです」

 処理とは気持ちの整理の付け方?

「なんとか撮れる形にはもっていきたいんですけどね。私は“自分の部屋に鍵をかけていなくなる”って言っているんですけど(笑)」

 ずっと部屋にはいたことにすると?

「そうそう(笑)」

 青木さんにとってオリンピックは特別なもの。その気持ちはお察しします。

「好きでやってきたわけですから。確かにオリンピックの経験をたくさん持っている人は少ないし、言葉の問題もある。今はフォトチーフを引き受けたからには、精一杯の仕事をしなければと思っています。どういうふうなオリンピックに持っていったらいいかということを考えられる人は少ないと思うんです。そういう意味において、フォトチーフをやることを引き受けたのはある意味しようがないのかなとは思うんですけどね」

 今回は東京開催だからなおのこと。でも、お願いするほうの気持ちもよく分かります。

「写真を撮ってもいいんだったら喜んでやったかもしれないですけどね。IOCのいわゆる私の上司になるボブ・マーチンという男がいるんですが、彼は友人なんです。彼もフォトチーフを経験していて、“大変だよ”とか“写真は撮れないよ”といった感じでいろいろ詳しく聞いていました。ただ彼はそんな中でも撮ったという噂もあるんです。本人は撮っていないと言っていますけど(笑)」

 東京でオリンピックを開催することが決まった時は率直にどう思いました?

「うれしかったし、どう撮影しようかなという気持ちもありました。その時はまだ撮ることしか考えていなかったですから」

 逆に今この状況になって、「あれ? 東京でオリンピックやんなきゃよかったな」とは?

「それはないです。ただ1964年の大会とはひとつ大きな違いがある。日本はもう日のいずる国ではないですよね。1964年のイケイケだった時代の東京とは大きく違います。予算という大きな壁があります。限られた予算の中でどうやっていいオリンピックにするかという非常に難しい問題を抱えているのは確かです。今まで日本はしっかりとしたいい形で国際大会を運営してきました。当然世界中の皆さんが今回もそれを期待している。ところが今度のオリンピックは何といっても、特別な問題を抱えています」

 それはどういったことを?

「暑さ対策です。カメラマンが倒れないようにどうすべきかということを考えるのが最大の課題だと思っています」

 お客さんはしんどくなったら休めばいい。でもカメラマンはなかなか持ち場を離れられない。

「責任がありますからね」

 またカメラマンとしての習性。「撮りたい」という気持ちで少々しんどくても頑張ってしまう。

「熱中症はかなり出るでしょうね。今年の夏くらい暑かったら、歴史上一番暑いオリンピックになると思っています」

 マラソンは一番分かりやすい例ですが、それ以外でも屋外でやる競技はとにかく暑さ対策は必須。カメラマンに何かあったら大変というのは青木さんの中ではかなり現実的な話なんですね。

「そうですね。カメラマンが倒れたら用意が悪かったということになりますし、長年一緒にオリンピックを撮影してきた友人カメラマンを少しでも楽にしてあげたいという気持ちは強いです。とにかくいいオリンピックにするためにはどうするか、ということを真剣に考えています。一番の問題は、暑さ対策には大きな予算が必要という事です」

 今まではプレーヤーと観客のことしか考えていなかった。しかしメディアも海外からたくさんやってくる。もっとも記者とカメラマンでは大きな違いがありますね。

「記者は極端なことを言えばプレスセンターの中でモニターを見ながら記事を書くこともできます。でもカメラマンは現場に行かないといけない。室内競技はまだいいですけど、屋外の場合は丸一日35度にもなるようなところにいて、無事帰って来られるかどうかという問題はありますよね。それが1日だけならまだしも2日3日、一週間と続いた時にどうなるのかということも考えないといけない。私の本音としては、熱中症で済めばまだ良いと思っています。カメラマンも徹底的に気を付けるべきですが、主催者もできる限りの手を尽くすべきだと思っていますね」

 カメラマンは荷物も多い。

「機材はオリンピックだと20キロは超えます。1日に3つの種目に行こうと思ったら、いろいろな機材を持っていかないといけない。長いレンズから短いレンズまでみんなまとめて持っていく。パソコンもあるし。みんなタフですけどね。オリンピックのプレスはみんないい仕事をしたいから、オリンピックが好きだから、1日5時間睡眠でも毎日ジャンクフードでも我慢して頑張っています。皆ギリギリのところで頑張っているので、一見、大したことのないちょっとした面倒な事でも取り払う事ができれば、喜んでくれると思っています」

 この問題が早くいい方向に向かうことを願いますし、これからはそういったことにも注意してニュースなどを見ていかねばならないと思います。

オリンピック・パラリンピックでの暑さ対策を語る時は厳しい表情を見せた青木さん

自分の写真は忘れるな。プロカメラマンは常に2つの心を持っていろ
 今回は「2018年の1枚」という企画の中でアフロスポーツのカメラマンの皆さんにお話をうかがったんですが、青木さんは自社の若いカメラマンに対しては自由に写真を撮らせて、個性を尊重して育てるということをしているように思いました。

「彼らは彼らで自分で考えていますから。プロである限りお金儲けの写真は撮らなければいけない。ただ、“自分の写真は忘れるな”と言うことは常に言っています。各カメラマンの個性がありますから、“こう撮れ、ああ撮れ”ということは正しいことではないと思うんです。いろいろな知識を与えることは大事だと思いますが、最終的に決めるのは自分のセンス。そういうものを自分で将来的に伸ばしていけるだろうなというカメラマンだけを選ぶ努力はしています。」

 そこは写真を見れば分かる?

「なんか出ていますよね。自分の意図とか気持ちが。それはアマチュアであってもです」

 西村尚己というカメラマンは40代半ばにして国交省の役人からプロカメラマンに転じた。アフロには個性的というかバラエティーなカメラマンが揃っている。

「彼には10年かけて口説かれました。ただ写真にはずっといいところはありました。それなりに伸びるだろうとは思っていました。少なくともお金を稼ぐ写真を撮る能力はちゃんとある思っていました。作品としていいものを撮れること以上に、稼げるかどうかも大事。プロカメラマンは最終的にそれで生活をするわけですから」

 家族のことを考えたら止めたほうがいい。でもカメラマンの先輩としては写真は続けてほしいといった感じで青木さんも悩まれたのでは?

「彼は“このまま死んだら死にきれない”と言ったんです。私は写真が好きでカメラマンになったわけですから、他の仕事をやっていてカメラマンになりたいと思ったら、やはりなにがあってもなるだろうなと自分でも思うんですよ。だから簡単に彼を拒絶できなかった。家族のことを考えたら彼はそのまま国交省にいたほうが良かったわけです、どう考えても。でも彼の人生ですから」

 スポーツ新聞のカメラマンは自社の媒体に載る写真を撮る。どういう写真を撮ればいいかはだいたい決まっている。アフロスポーツのカメラマンの場合は掲載先が決まっていない状態で写真を撮ることが多い。その時、カメラマンはどういう心持ちで写真を撮るべきなんでしょう?

「私はいつも “プロカメラマンは常に2つの心を持っていろ”と言っています。それはプロの部分とアマチュアの部分。プロの部分というのは、うちの場合だとお客さんの範囲がすごく広い。それを踏まえて世の中の人はどういう写真を欲しているだろうかということを考えながら現場に臨めということ。そしてその中でチャンスがあったら自分の写真を絶対に忘れるな。自分の写真というのはアマチュア心ですよね。それは売れる売れないに関係なく、自分がいいと思うものは必ず押さえてこい、ということです。それが一枚押さえられたら、その日は結構、本人は幸せだったと思うんですよ。プロカメラマンとしてはこの2つの組み合わせで生きていくのが利口なんじゃないでしょうか。私もそうやってきました」

写真の話の時は思わず笑みが漏れる

最終的に教えるのはいい写真を撮ってやろうというような気持ち
 アマチュア心を持った写真が日の目を見ることもある。そしてそれをきっかけにそのカメラマンが伸びていくということもあります。そういうこともモチベーションのひとつにもなる?

「そうですね。私はもともと広告系の写真から撮り始めています。広告の写真はクライアントが欲しい写真を撮ってあげなければいけない。その中でクライアントが欲しい写真だけを撮っていればクライアントは満足かというとそうではない。私はこちらから、こういう写真を撮るともっと喜ぶんじゃないかなというものを常に提示するように努力してきました。そうやってきたことはプロカメラマンとしての初期からいい評価を得ていたと思います」

 クライアントの希望にこちらのテイストを乗っける、織り交ぜる?

「向こうが欲しいものは必ず撮ってあげる。デザイナーが入っている時はその通りにとってあげないとデザイナーが困りますから(笑)。それと自分のテイストを出したものを両方撮って、“あとはそちらで選んでください”って渡すと喜ばれる。往々にして自分のテイストで撮ったもののほうが選ばれることが多かったです」

 クライアントからしたら新鮮な写真。そして提案してくれるということに感謝の気持ちを持つこともある。

「カメラマンはあらかじめこういう場所でこう撮ると決めていても、現場に行って、そのモデルを見た時に新しい発想が浮かぶというのは大事なことだと思うんです。こう注文されていたけど、こう撮ったほうが面白いんじゃないかと思ったら、その写真は必ず撮って帰りたいと思っています」

 逆に浮かばないとダメ?

「これが浮かぶか浮かばないかが大きな分かれ目になるのではないでしょうか。あと心意気は大事ですよね。撮影に行ったからには絶対に1枚は自分が気に入るものを撮って帰るぞ、という気迫を持って行け、とはいつも言っています。撮影技術がどうのこうのよりも、最終的に教えるのはいい写真を撮ってやろうというような気持ちですよね。技術はやっていくうちに身についていく。ライバルは人じゃなく自分ですね」

 そう考えるとオリンピック時の暑さ対策に話が戻ってしまいます。カメラマンは頑張っちゃうから危ない。

「倒れるまで撮る奴はいますからね、実際。私は人並み以上に大きな身体に恵まれ、何とか乗り切ってきました。親に感謝です」

 人がライバルだったら、相手がギブアップしてしまえばこちらも辞められるけど、自分がライバルだったら戦いに終わりはない。

「そういう人たちに、酷暑の夏になったとしてもなるべくいい環境を与えるために精いっぱいやりたいと思っています。なんといっても日本は招待する側ですから」

 ゲリラ豪雨の可能性もある。そうなったらカメラマンにとっては地獄ですね。

「雨具で防げる量じゃないですからね。それでもオリンピックはやるんですよね。どんな環境になっても。だからちょっとずつでも改善していかないといけないと思っています」

 こういった意見は実際に取材の現場で苦しい思いをしてきたからこそ出るものですね。今後の成り行きを見守っていきたいと思います。(本紙・本吉英人)

青木紘二

富山県出身。
20代前半にスイス留学。
スイス連邦公認国家スキー教師の資格を持ち、スイス及び日本でプロのスキー教師を5年間経験した事もある。
1976年にカメラマンとして仕事を始める。語学力を生かした海外撮影、コマーシャル分野の仕事を始めたが、出版分野に転向。スキー誌、ゴルフ誌等で活躍。
長い海外生活を生かし、常に国際的な目で新しい映像を追求している。
写真集の編集や撮影のコーディネーションを含めたノウハウも持ち合わせている。
夏・冬のオリンピックの撮影を数多く経験しており、1998年長野オリンピックにおいては、オフィシャルフォトチームのリーダーとして活躍した。
アフロスポーツ、アフロディーテ、及びアフロ代表。
アフロスポーツ

1997年、現代表フォトグラファーである青木紘二のもと「クリエイティブなフォトグラファーチーム」をコンセプトに結成。1998年長野オリンピックでは大会組織委員会のオフィシャルフォトチーム、以降もJOC公式記録の撮影を担当。
各ジャンルに特化した個性的なスポーツフォトグラファーが在籍し、国内外、数々の競技を撮影。放送局や出版社・WEBなど多くの報道媒体にクオリティの高い写真を提供し、スポーツ報道、写真文化の発展に貢献している。

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