映画「君がまた走り出すとき」主演の寛一郎「役者を真面目にやる事で人として成長できると信じている」
翔太は多笑やその周りにいる人と出会う前は、自分にはどこにも居場所がないと思っているような青年でしたが、共感できるところは?
「すごくあります。居場所がないというより、自分で居場所をなくしてしまったというか、自分から遠ざけていましたね。それでいて、僕には居場所がないと言って落ち込むみたいな(笑)。その時は、若くて尖っていたから、そんなすねた考えだったのかも知れません。“誰も俺の事なんか分かってくれない”って(笑)。ただ、少なからず今でも多少はそういう気持ちになる時もありますが、実はそういうのも嫌いじゃないんですよね。そういう中でもがいている人って、人間らしくて僕は好きです。全部分かったようなふりをして生きている人たちよりも全然いい。だから翔太をはじめ、この作品に出てくるキャラクターはみんな好きですね」
そういう人間らしいキャラクターたちもこの作品の魅力だ。
「一度つまずいてしまった人たちばかりですが、愛すべき人間たちばかりです。つまずくだけじゃなくて、そこで自分に向き合えない。向き合いきれてない人たち。けど、そういう人たちって、現実の世界でも絶対にいると思うし、逆に誰しもが持っているものだと思う。そういう気持ちを変えたいとか、おこがましい事は思いませんが、ちょっとだけでもそういう人たちに対し、フックがかかればいいなと思います。どこかひとつでも共感できるところや、逆にまったく共感できないところを見つけることで、少しでも自分に向き合うきっかけになればいいかなと思いながら演じていました」
これまでは繊細な青年といった役が多かった寛一郎だが、今後はどんな役にチャレンジしたいのか。
「振り切った役をやってみたいですね。これまでは何かもがき苦しんでいる青年だったり、心が揺れ動いていたりする役が多く、それはそれで人間っぽくて素敵だなと思うんですけど、思いっ切り頭のネジが飛んでいるような役もやってみたい。分かりやすく言えば殺人鬼とかドラッグ中毒とか。また逆に笑いのほうにも振り切りたいです。実際コメディーは得意じゃないと思いますけど、チャレンジしてみたいというのはあります。僕は0から1にする事って、役者にとってとても大切な事だと思っています。1から100にするよりも、0から1にするほうがとても大変なんですけど、自分にはないものを、役を演じる事で作り上げる。いろいろな人間を頭ごなしに否定するのではなく、その人の事を考えてどう演じていくのか。そこを考える事で学ぶこともたくさんあると思いますし、役者を真面目に真剣にやるというのは、人として成長できるのではないかと思っています」