識者が語るシド・ミードと映画「ブレードランナー」以後の未来像

映画評論家の清水節氏(左)とプロデューサーの関智氏
“レトロ・フューチャー”という名の下に追いやられてしまったミードの描く未来

 後半では「ブレードランナー」からミード氏に軸を移してトークを展開。

 清水氏は「ある時期からミードの描く未来は“レトロ・フューチャー”という名の下に追いやられてしまった。『エリジウム』という作品では格差社会が激しくなり、富裕層だけが住んでいるスペースコロニーをデザインしていて、ミードが“人類がそうなってほしい”と思って描いていたものが、格差社会、資本主義の行き着いた先の姿として使われている。そして『ブレードランナー2049』のラスベガスは、20世紀のアメリカの夢が潰えたものが描かれている」と指摘すると若林氏は「僕はWIREDをやっていたんで“じゃあシド・ミード好きでしょ”って言われるんだけど、さほど思い入れのない立場からすると、割と“みんなシド・ミード好きすぎ”って思ってます。これは、ある種の“縛り”です。SFの世界像の設定やイメージ、テクノロジーってもののありようが、特にデジタルが世界の中に入ってきちゃうと、実は過去に映画で描かれたことを、ある部分では(現実が)通り越していて、SF的な思考そのものが、“20世紀的なもの”になっている可能性があって、いわゆる科学技術がスペキュラティブ(問題提起)に捉えられることで、仮想できることが失効しつつある。つまり“過去に作られたSFイメージを踏襲しすぎてないか?”ということで、結局(スタンリー・)キューブリックと、ミードの世界像にガチガチに収まっていて、それはそれで楽しいけど“新しいな、この未来の描き方は”っていうのは、実は少ないような気がしている」と話した。