ケニアのバラを届ける萩生田愛さんが伝える 対等な関係性が作り出す本当のサポート
“~になりたい”――。女性が思う“Be”の部分にフォーカスを当て、さまざまな立場の女性ゲストを招き、仕事や育児、ライフスタイルなどについてクロストークを展開するTBSラジオの新番組「Be Style(ビースタイル)」。
Nagatacho GRiD[永田町グリッド]にて公開収録された今回の放送は、MCを務める菊池亜希子さんとともに、アフリカ薔薇専門店「AFRIKA ROSE」を手掛ける株式会社Asante代表取締役・萩生田愛さんが登場。
アフリカ・ケニアへの渡航を決意した背景、アフリカへの支援・援助の実情、そしてケニアのバラが築く関係性について、言葉を紡いだ。
Nagatacho GRiD[永田町グリッド]にて公開収録された今回の放送は、MCを務める菊池亜希子さんとともに、アフリカ薔薇専門店「AFRIKA ROSE」を手掛ける株式会社Asante代表取締役・萩生田愛さんが登場。
アフリカ・ケニアへの渡航を決意した背景、アフリカへの支援・援助の実情、そしてケニアのバラが築く関係性について、言葉を紡いだ。
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「ケニアのバラは、2週間ほど長持ちし、冬場ともなれば1か月、2か月持つこともあります。茎はアスパラガスのように太くて丈夫。 りんも大きくて、日本で見かけるバラの1.2~1.5倍ぐらいの大きさがあります。サバンナの夕日のように輝くオレンジのグラデーション、ピンクと淡いグリーンのグラデーション、マーブル柄など個性的なカラーが多いことも特徴です」
花びらにエネルギーが詰まっているような存在感。アフリカ薔薇専門店「AFRIKA ROSE」を展開する萩生田愛さんは、そうケニアのバラの魅力を語る。
日本に流通しているバラの約8割は国内産。残り2割が外国産となり、ケニア産ともなればごくわずか。長時間をかけてケニアから届く、生命力溢れるバラに魅せられる人は後を絶たず、今では広尾、六本木ヒルズにお店を構えるまでの人気店へと成長している。だが、「お花屋さんを手掛けることになるなんて夢にも思っていませんでした」と、萩生田さんは笑う。
「アメリカの大学を卒業後、新卒で日本の大手製薬会社に就職しました。大学時代、世界の環境問題や貧困問題について議論する機会があり、以来、グローバルな問題に取り組むことができればと考えるようになりました。製薬会社を選んだのは、薬を通して人の命に貢献したいという思いがあったからでした」
約7年間、OLとして勤務するも、29歳のとき離職。「日々の仕事も楽しかったし、成長も実感していたのですが、アフリカに行って何かをしてみたいという気持ちが抑えられなくなって」。学生時代に、オーストラリア、ブラジル、スペインなどに滞在した経験を持っていた萩生田さんにとって、アフリカは“いつか行ってみたい”、念願の場所だった。
「大学時代に、世界には1日1ドルで暮らしている人がたくさんいる――特にアフリカにたくさんいることを知り、国際社会が援助や寄付をしている背景に大きな関心がありました。同時に、そういった支援が本当に現地の人たちの役に立っているのか? いつか自分の目で確かめてみたいという思いがあったんですね」
勤めていた製薬会社が WHOと提携し、アフリカへ薬を無償提供するプロジェクトがスタートしたことを機に、彼女は安定した生活を手放し、単身でアフリカ・ケニアへ、ボランティアをするために渡航を決意する。
「ケニアでは、農村部の教室建設を手伝うNGOの一員として、教室の作り方や、現地のお母さんたちに教育の意義などを伝えていく仕事をしていました」
実際に訪れたケニアは、萩生田さんにとって衝撃だった。
「教室を建設しても、学校に通えない子が多かったんですね。家計を助けるために、目の前に学校があるのに通えない。首都・ナイロビから3時間ほど郊外へ離れると、電気もなければ、裸足で生活しているような人がたくさんいる。教室を作れば解決するという話ではありませんでした」
さらに、「援助慣れしている姿勢」も疑問符が浮かんだという。
「ある村の小学校の校長先生にお会いした歳、 “Welcome! How can i help you?」と言われて。たくさんのNGO が来ては去り、そういった状況が繰り返されていく中で、「NGO が来たから、また何かしてくれるはず。協力すれば、自分たちにメリットがある」という雰囲気が漂っていました。何かの役に立ちたいと思ってアフリカへ来たものの、長期的に考えると、本当に彼らのためになっているのか……ハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けました」
「ケニアのバラは、2週間ほど長持ちし、冬場ともなれば1か月、2か月持つこともあります。茎はアスパラガスのように太くて丈夫。 りんも大きくて、日本で見かけるバラの1.2~1.5倍ぐらいの大きさがあります。サバンナの夕日のように輝くオレンジのグラデーション、ピンクと淡いグリーンのグラデーション、マーブル柄など個性的なカラーが多いことも特徴です」
花びらにエネルギーが詰まっているような存在感。アフリカ薔薇専門店「AFRIKA ROSE」を展開する萩生田愛さんは、そうケニアのバラの魅力を語る。
日本に流通しているバラの約8割は国内産。残り2割が外国産となり、ケニア産ともなればごくわずか。長時間をかけてケニアから届く、生命力溢れるバラに魅せられる人は後を絶たず、今では広尾、六本木ヒルズにお店を構えるまでの人気店へと成長している。だが、「お花屋さんを手掛けることになるなんて夢にも思っていませんでした」と、萩生田さんは笑う。
「アメリカの大学を卒業後、新卒で日本の大手製薬会社に就職しました。大学時代、世界の環境問題や貧困問題について議論する機会があり、以来、グローバルな問題に取り組むことができればと考えるようになりました。製薬会社を選んだのは、薬を通して人の命に貢献したいという思いがあったからでした」
約7年間、OLとして勤務するも、29歳のとき離職。「日々の仕事も楽しかったし、成長も実感していたのですが、アフリカに行って何かをしてみたいという気持ちが抑えられなくなって」。学生時代に、オーストラリア、ブラジル、スペインなどに滞在した経験を持っていた萩生田さんにとって、アフリカは“いつか行ってみたい”、念願の場所だった。
「大学時代に、世界には1日1ドルで暮らしている人がたくさんいる――特にアフリカにたくさんいることを知り、国際社会が援助や寄付をしている背景に大きな関心がありました。同時に、そういった支援が本当に現地の人たちの役に立っているのか? いつか自分の目で確かめてみたいという思いがあったんですね」
勤めていた製薬会社が WHOと提携し、アフリカへ薬を無償提供するプロジェクトがスタートしたことを機に、彼女は安定した生活を手放し、単身でアフリカ・ケニアへ、ボランティアをするために渡航を決意する。
「ケニアでは、農村部の教室建設を手伝うNGOの一員として、教室の作り方や、現地のお母さんたちに教育の意義などを伝えていく仕事をしていました」
実際に訪れたケニアは、萩生田さんにとって衝撃だった。
「教室を建設しても、学校に通えない子が多かったんですね。家計を助けるために、目の前に学校があるのに通えない。首都・ナイロビから3時間ほど郊外へ離れると、電気もなければ、裸足で生活しているような人がたくさんいる。教室を作れば解決するという話ではありませんでした」
さらに、「援助慣れしている姿勢」も疑問符が浮かんだという。
「ある村の小学校の校長先生にお会いした歳、 “Welcome! How can i help you?」と言われて。たくさんのNGO が来ては去り、そういった状況が繰り返されていく中で、「NGO が来たから、また何かしてくれるはず。協力すれば、自分たちにメリットがある」という雰囲気が漂っていました。何かの役に立ちたいと思ってアフリカへ来たものの、長期的に考えると、本当に彼らのためになっているのか……ハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けました」