「マチネの終わりに」に見る“悪”役の処遇【黒田勇樹のハイパーメディア鑑賞記】
こんにちは、黒田勇樹です。
明日(14日)から三栄町LIVE×黒田勇樹プロデュース vol.7「この暗闇を超えて、温泉に行こう」が始まります。
ひざを痛めたり、金欠だったり、全身筋肉痛だったりといろいろありましたが、やることはやりました。
あとは皆さまに見ていただくだけです。少しでもご興味を持たれていただけましたら、ぜひお越しください。
今週は鑑賞記やります。
相談も引き続き受付中です。では始めましょう。
明日(14日)から三栄町LIVE×黒田勇樹プロデュース vol.7「この暗闇を超えて、温泉に行こう」が始まります。
ひざを痛めたり、金欠だったり、全身筋肉痛だったりといろいろありましたが、やることはやりました。
あとは皆さまに見ていただくだけです。少しでもご興味を持たれていただけましたら、ぜひお越しください。
今週は鑑賞記やります。
相談も引き続き受付中です。では始めましょう。
黒田勇樹
福山雅治さん、石田ゆり子さん主演の「マチネの終わりに」を観てきました。
福山さん演じる天才ギタリストと石田さん演じる世界を駆けるジャーナリストの、切なく美しい大人の恋愛映画という売り出しに違うことなく、しっとりとしつつもほろ苦い物語。更に2人の障害になっていくものが創作の苦悩、世界情勢、大人ならではの恋愛事情と、複雑なグラデーションとコントラストで、非常に味わい深い作品になっていました。
が、しかし! 悪役の2人!
まぁ、悪役と一言に言ってしまうとちょっと誤解されるんですが、各作品の「門番」とでもいうんですかね? 主人公に焦点を当てた場合に、エピソードの途中途中で乗り越えるべき試練として出てくる存在。
キャラクター自体の思想が悪であったり、立場の違いから主人公の障害になる人物だったり、“悪”と描かれる状況も様々なのですが、今回問題にしたいのが、その人物が物語上の“悪役”としての役割を終えた後の“処遇”について。
今回、桜井ユキさんが演じている女性が、「僕らがいた」の本仮屋ユイカちゃん、「昼顔」の伊藤歩ちゃんばりに2人の恋愛を引っ掻き回して、なんならこの作品に出てくる中で、倫理的には紛うことなく最大の“悪”である、爆破テロの首謀者よりも“悪く”描かれるのですが、終盤、すれ違いの演出という役割を終えた後、勿論そこまでもしっかり描写されてたんですが、なんかちょっと「彼女には彼女なりの想いが」みたいに描かれて幸せになります。
もう1人の悪役は伊勢谷友介さん。石田さん演じるジャーナリストの、元々いたフィアンセなんですがモラハラで浮気者で、「相手がコイツじゃ他の男に気持ちが移ってもしょうがない」と、女性側の孤独を演出したあと、なんやかんやあって…幸せになります!
こいつら、ハリウッド映画なら存在を抹消されるかギャグキャラにされ、韓国映画なら容赦なくぶっ殺される立ち位置ですよ!
「大人の恋愛の複雑さ」を描くには「過去に敵対した相手にも別の人生が存在する」という描き方は効果的だと思うのですが、あくまでも1つの作品として悪役のその後を描くなら、それが主人公たちの人生へ与えた影響まで書かないとまとまりきらない印象。
この邦画独特ともいえる「悪役が幸せになる」現象って、TVドラマの影響が色濃いんだと思います。
そりゃ、1時間×12話もあるストーリーであれば悪役に当たるキャラの人物もしっかり描けるから幸せになっても納得が出来るし、メタ的に言えばTVで活躍している方々の主な収入はCMなので、イメージを落とさないことが最優先だからこういう結末にするべきなんですが…
映画でやられてもねー!
僕が若輩だから、悪役たちの人生の深みまで想像しきれなかったという可能性も多大にありますが、なんかこう、映画とTVドラマの差異というのがもっとハッキリして、住み分けというか、媒体ごとの齟齬によるノイズが減るといいなあと思いました。
福山さん演じる天才ギタリストと石田さん演じる世界を駆けるジャーナリストの、切なく美しい大人の恋愛映画という売り出しに違うことなく、しっとりとしつつもほろ苦い物語。更に2人の障害になっていくものが創作の苦悩、世界情勢、大人ならではの恋愛事情と、複雑なグラデーションとコントラストで、非常に味わい深い作品になっていました。
が、しかし! 悪役の2人!
まぁ、悪役と一言に言ってしまうとちょっと誤解されるんですが、各作品の「門番」とでもいうんですかね? 主人公に焦点を当てた場合に、エピソードの途中途中で乗り越えるべき試練として出てくる存在。
キャラクター自体の思想が悪であったり、立場の違いから主人公の障害になる人物だったり、“悪”と描かれる状況も様々なのですが、今回問題にしたいのが、その人物が物語上の“悪役”としての役割を終えた後の“処遇”について。
今回、桜井ユキさんが演じている女性が、「僕らがいた」の本仮屋ユイカちゃん、「昼顔」の伊藤歩ちゃんばりに2人の恋愛を引っ掻き回して、なんならこの作品に出てくる中で、倫理的には紛うことなく最大の“悪”である、爆破テロの首謀者よりも“悪く”描かれるのですが、終盤、すれ違いの演出という役割を終えた後、勿論そこまでもしっかり描写されてたんですが、なんかちょっと「彼女には彼女なりの想いが」みたいに描かれて幸せになります。
もう1人の悪役は伊勢谷友介さん。石田さん演じるジャーナリストの、元々いたフィアンセなんですがモラハラで浮気者で、「相手がコイツじゃ他の男に気持ちが移ってもしょうがない」と、女性側の孤独を演出したあと、なんやかんやあって…幸せになります!
こいつら、ハリウッド映画なら存在を抹消されるかギャグキャラにされ、韓国映画なら容赦なくぶっ殺される立ち位置ですよ!
「大人の恋愛の複雑さ」を描くには「過去に敵対した相手にも別の人生が存在する」という描き方は効果的だと思うのですが、あくまでも1つの作品として悪役のその後を描くなら、それが主人公たちの人生へ与えた影響まで書かないとまとまりきらない印象。
この邦画独特ともいえる「悪役が幸せになる」現象って、TVドラマの影響が色濃いんだと思います。
そりゃ、1時間×12話もあるストーリーであれば悪役に当たるキャラの人物もしっかり描けるから幸せになっても納得が出来るし、メタ的に言えばTVで活躍している方々の主な収入はCMなので、イメージを落とさないことが最優先だからこういう結末にするべきなんですが…
映画でやられてもねー!
僕が若輩だから、悪役たちの人生の深みまで想像しきれなかったという可能性も多大にありますが、なんかこう、映画とTVドラマの差異というのがもっとハッキリして、住み分けというか、媒体ごとの齟齬によるノイズが減るといいなあと思いました。