【インタビュー】町田啓太「やり切った!」好きが詰まった初めての写真集発売
ーーまずは、なぜ写真集に取り組もうと思ったのか、お聞かせいただけますか?
編集部さんから「写真集を出しませんか」と声をかけていただいたから、ですね。それなしには始まりませんでした。自分が写真集を出すことなんて、まったく考えていなかった……といえば、そうなのかもしれないです(笑)。
ーーそこから「やってみよう!」となるには何らかのきっかけがありそうですが。
それは、マネジャーさんです(笑)。このタイミングで、作品として残しておくのもいいんじゃないか、(写真集が出るのを)待ってる人もいるよって。それでなるほどって。待っててくれる人がいるのならばチャレンジしてみようと思いました。
ーー現在29歳で、20代最後の年。そういった意味での、“このタイミング”なのでしょうか?
それはないわけじゃないと思いますけど、自分の周りにいる方たちがそう考えているかもなってこと。自分自身では20代最後だとかそういう年令って何か関係あるのかなって思います。だから何よりも、今、待ってくれている人がいるということ、そのタイミングなんです。最大限、今の自分自身ができることで、待っていてくれる方たちのちょっとした記念だとか、手元においてもらって、その後の僕がどう変わっていくのかを見るようなものになったらいいんじゃないかなって。
ーー写真集はご自身の生まれ故郷である群馬と新宿のゴールデン街で撮影された、二部構成。こうした構成などを含めて、いろいろ話し合って作り上げていったと聞きました。
マネジャーさんをはじめ自分の周りの人、出版社の方と話し合いをしながら、少しずつアイデアを固めていきました。自分がもともと好きなものや興味あるものということを基本に話していくなかで、カメラマンさんであるとか写真集に関わっていただくスタッフさんも決まっていきました。いよいよみんな揃ったというところで、改めてこの写真集をどういうものにしたいかという思いを共有する機会を作っていただいて。それで、最終的にゴールデン街と自分の故郷で撮りましょう、と。
どうせやるんだったらやり切ろうと思ってましたから、それに乗ってくれたんですよね。みんなプロフェッショナルですから、みなさんの意見、自分の意見を出し合って、作り上げていった感覚で、撮影中も意見を出し合って。二部構成にするアイデアも撮影中に出てきたものだったりします。
ーー映画やドラマのように事前に絵コンテを切るように決めて撮影していくイメージを持っていたのですが、お話を伺うと映画やお芝居を通っていく感覚とあまり変わらないのですね。もちろん、その場やメンバーによって変わると思いますが……。
そうですね。確かに作品を作ったっていう感覚はあります。僕自身初めての写真集で他とは比較できないですし、映画やドラマもゼロから作ったという経験はないからなんとも言えないですけど、アイデアを出し合って、それを組み合わせながら完成させたことはいい勉強でしたし、いい経験になったと思います。