瓦田脩二「リーダーの自分が、一番かっこよくなければいけない」


 格闘技に反対していたご家族の反応は?

「大学に入ってキックボクシングを始めてからしばらくは黙っていたのですが、はじめて半年後くらいに先輩の姿を見て真剣にやろうって決めてから、一度、親に連絡したのですが、その頃はまだプロになろうとは思っていなかったんです。ただ、プロの試合も含めてたった1回だけ試合を見に来てくれたのが全日本の決勝の試合でした。その時は入場する瞬間から泣いていたらしいんですけど、来たのは後にも先にもそれっきり(笑)。でも、その時に真剣にやっていることが伝わったのか、止めはするけど少しは応援してくれるようになっていて、もう僕が考えを曲げないというのも理解していたので、渋々認めつつ、今も応援してくれているような感じですね」

 総本部に入会したのはどのような経緯で?

「アマチュアの大会で優勝したことでプロの誘いというのはあったのですが、僕はK-1が好きだったので他に行く選択肢はなかった。大学在学中、天才といわれているキックボクサーでありドクターでもある池井(佑丞)さんが、自発的にスペースを借りて、無料で僕たちに指導してくれていたんですが“この人とずっと一緒にやっていけたら”と思っていたところ、梶原龍児代表が池井さんの知り合いだった。つまり唯一のK-1とのつながりが総本部で、しかも池井さんに教わりながら行きやすいというのがきっかけです。K-1ジムって試合くらい本気でスパーリングをやるんですけど、入会してすぐに郷州(征宜)さんとかにボコボコにされてしまって。大学の時にボコボコにされた時と同じ感情がまた湧いてきて、“この人たちを倒さないといけない”と。そこからまた真剣に、さらに一段ギアを入れ直して、気持ちを引き締めてがんばれました」

 剣闘士“俊”(上窪俊介)選手の引退によって総本部の梶原龍児代表から「リーダーとして引っ張ってほしい」と言われたそうですね。そういう立場のプレッシャーは?

「実は連敗が続いた時に梶原代表から“生きた心地がしない”と言われてしまって……、そこでさらに一番近くにいて支えていた俊介さんが病気で引退してしまった。ドン底に落ちている梶原代表を見ていた自分が“これから頼む”と言われたら絶対に断れないですよ。もちろん、キャリアも浅くジムの古参というわけでもなければ年長でもない自分では無理だと心では思ってしまいましたけど“何か力になれたら”という思いのほうが強いです。自分がリーダーだとしたら副リーダーにあたるのが璃明武くんなのですが、僕たちに対して代表が気合を入れてミットを持ってくれていることをお互いに感じていて、二人で食事に行った時に、“あれだけ自分たちに気持ちを込めてくれているのだから、絶対に勝たなければいけない”と確認しあいました。僕としては周りを引っ張っていこう、みんなをまとめていこうと思うことよりも、自分が一番という気持ちというのでしょうか。そういう立場になったら、その人が一番強くないとダサいじゃないですか。かっこいい自分でないといけない。そういう意味ではいい方向に行っていると思います。強さだけではなく、人間的な意味でも自分がかっこいいと思う人だったらどんな選択をするだろう、と考えるようになりました」