暗中模索だった押切もえが 樹木希林から伝えられた “肩が軽くなった一言”とは



「高校生のとき、“コギャルブーム”が席捲していて、私も読者モデルとして雑誌に載りたいなと思っていたんです」

『Popteen』に読者モデルとして登場するようになった押切もえさん。順風満帆なように見えるが、「スカウトされてから2年ぐらいは仕事がなかったんですよ」と、あっけらかんと笑う。

「ティーン誌のイメージが強いと言われて、なかなか仕事が決まりませんでした。それに、当時の私はプロ意識が欠けていた。「一生懸命やります!」という気持ちが薄かったため、仕事があったとしても次につながらない、オーディションに合格しないことが多かったです」

押切さんの知名度を全国区へと押し上げることになる『CanCam』 の専属モデルが決まったのは、二十歳の終わりの頃。「それまではフリーター生活。工場の日払いのアルバイトなどをしていました」というから驚きだ。

「当時、副編集長だった方が、 「ちょっと引っかかる写真があるから様子を見たい」と言ってくれて。そのときはダメだったのですが、数日後に連絡をいただき、一回テストをしたんですね。そこで拾っていただいたことで、私のモデルとしての道が開けていきました。一本の細い糸からつながることってあるんですよね」

その後、蛯原友里さん、山田優さんとともに、同誌のトップ3人気モデルとしてブレイクしたのは周知の事実。2009年には、小学館から『モデル失格~幸せになるためのアティチュード~』を発刊。大きな話題を呼んだ。

「それまでモデルさんが出版する本は、写真を添えて、こんなメイクをしています、クロゼットの中はこういう服があります――といったスタイルブックが多かったのですが、なぜか私は「新書でいきましょう」となりました(笑)。日雇いアルバイトをしながらモデルをしていたエピソードなど、私のモデルとしての入口や進んでいる道が他の方と違って珍しいと。半生を振り返るような内容だったので、自分と向き合い、文章だけを綴ることができたのは、大きな体験になりました」

新書を上梓した押切さんは、2013年にモデル業界を描いた長編小説『浅き夢見し』で小説デビューを果たす。きっかけは何だったのか?

「書いてみたらいいじゃないと言ってくれる方がいて、“書いてみたい”という気持ちが勝ってしまった(笑)。誰が読んでくれるんだろう、誰が買ってくれるんだろう……そういった不安ももちろんあったのですが、“書いてみたい”という気持ちが何よりも勝った。その気持ちだけで書きました」

また、モデルを続けていく中でこんな葛藤もあったと話す。

「モデルは、服が主役ですから過度な自己主張は求められていません。でも、マネキンのように、誰が着ても同じでもダメなんですね。一緒じゃダメなんだけど、自分を出しすぎてはいけない……編集意図に沿わなければいけない、裏方の意図を汲まなければいけないのがモデル。かといって考えすぎると表情が死んでしまう(苦笑)。なかなかややこしい仕事なんです。表舞台に立ってスポットライト浴びているというイメージを持たれると思うのですが、いろいろな葛藤がある」