車いすテニスプレイヤーであり、大工だった私が見つめる、東京のバリアフリー【二條実穂】
元車いすテニスプレイヤー 二條実穂
TOKYO 2020 COUNTDOWN
「バリアフリー先進国」と呼ばれる日本。とりわけ東京は東京五輪パラリンピックの開催に向けて「スマート東京」を推進し、駅や建物のバリアフリーのほか、デジタル技術を使った移動支援にも積極的だ。施設やサービスが充実し、街が変わりゆく中で、人々の意識はどうだろうか。車いすテニスプレイヤーとして2016年のリオパラリンピックに出場し、現在は東京都パラ応援大使を務める二條実穂さんが、アスリートとして、いち車いすユーザーとして語った。
大好きだった「大工」の仕事
昨年5月の現役引退まで、約15年間車いすテニスプレイヤーとして世界の頂点を目指した二條さん。意外にもアスリートになる前は「ものづくり」に精を出した。
「住宅を作る“大工”をしていました。骨組みとなる柱や梁を組み上げたり、壁や床などを作り上げていく作業のほかに、電気業者や設備業者などいろいろな方とひとつの現場を創り上げていくことに魅力を感じていました。幼い頃からものを作る事が好きだったので、進路を考えたときに建築の道に進みたいと思ったのがきっかけです。棟梁として現場を任されるようになり、やりがいを感じたのは階段をつける仕事です。階段は微細な技術が必要で、1番難しいと言われていて棟梁が行う仕事でした。自分が棟梁になったとき、やれる立場になれたんだとうれしかったですね」
大工として働いていた23歳の時に、建築現場の足場から落下し脊髄を損傷。車いす生活になった。退院後すぐに始めた車いすテニスで徐々に活躍の場を広げ、プロのプレイヤーとして活動。現在はアスリートとしての視点や、大工の経験も生かし、東京都が主催する「東京2020パラリンピックの成功とバリアフリー推進に向けた懇談会」のメンバーとして意見交換の場や視察に参加している。
「大工として働いていたこと、車いすユーザーであること、現役時代に海外遠征に行かせていただいたことは大きな経験となっています。自分の中で建築とパラリンピック、どちらも大切にしていることですし、懇談会がパラリンピックを盛り上げよう、バリアフリーを推進しようというものなので、私の経験した全てを生かしてお手伝いできればうれしいです」