栗栖良依「五輪パラのディレクターが コロナ禍で見せたい未来」

TOKYO 2020 COUNTDOWN
 東京2020大会で開閉会式のクリエイティブ・ディレクターを務める栗栖良依さん。式典に参加するエンターテイナーを広く全国から一般募集するなど、「市民参加型」のパフォーマンスを大切にする作り手だ。その礎となったのは、2014年にスタートした、障害者と多様な分野のプロフェッショナルによる現代アート国際展「ヨコハマ・パラトリエンナーレ」。11月18日のコア会期開幕を前に、コロナ時代の新たなイベント像やいま問われる芸術文化の役割を聞いた。
ヨコハマ・パラトリエンナーレ総合ディレクター 栗栖良依(撮影・蔦野裕)

クリエイティブ・ディレクターという仕事


「オリンピックとパラリンピックには開会式と閉会式4つの式典があり、それらの大枠を考えるメンバーが7名います。私は主にパラリンピックの式典において、障害を持つキャストのキャスティングや演出のアドバイスをしています。障害のある人を面白く見せる振り付けと、健常者をかっこよく見せる振り付けはそもそも考え方が違うんですね。健常者のステージは、いかに振り付けを完璧に踊れるかという視点で出演者を選ぶのが一般的だと思いますが、パラリンピックの場合は、人によって身体の形も全然違うし、音楽の聴き方、アウトプットの形も違います。個性や違いをどうしたらかっこよく見せられるかという視点でステージを作っています」

 栗栖さんがステージ作りにひかれた原点は、高校生の時にテレビで見たリレハンメルオリンピックだった。

「雪の舞台で妖精が次々と出てくるファンタジックなものでした。民族衣装を着て、子どもからお年寄りまで、たくさんの市民がパフォーマンスに参加している。それにすごく感動して、プロの役者さんが作る演劇やダンスより、市民がたくさん出てくるプログラムやエンターテインメントを作っていきたいと思いました。2010年に自分が病気をきっかけに障害者になり、市民と一緒に何かをやるというところに“障害”というテーマが新たに加わったという感じです」

 32歳で骨肉腫を発病し、右下肢機能の全廃を余儀なくされた栗栖さん。「世界の見え方や価値観が180度変わった」という頃に出会ったのが、2012年のロンドン大会だった。

「自分が障害者になって初めてのオリンピック・パラリンピックがロンドン大会でした。パラリンピックに注目してみたら、出ている人たちが多様で面白い。総合演出をしていたのが障害を持つ当事者の方で、しかもトップからマスまで、すべてのキャストにおいてあらゆる人が混ざっていたんですね。多様な人たちが作る面白さに魅せられた2012年でした」

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