『小森隼の小盛りのハナシ』リポート&インタビュー ーー月刊EXILE
──初の単独トークライヴ「小森隼の小盛りのハナシ」の成功、おめでとうございます。終わった瞬間はどんな気持ちでしたか?
「やっと年が明けた! という気持ちでした(笑)。去年の10月からずっとネタ集めをしたり、アドバイスをもらいながらですが自分で構成を考えていたので、ようやく2020年の仕事を終えたなとホッとしました。同時にLDHのなかではソロでトークライヴをやることは初となったので、その一発目になれたという達成感もあり、すごくうれしかったです」
──トークライヴをやろうと思ったのは、カンニング竹山さんの単独ライヴ『放送禁止』を見たのがきっかけだそうですが、いきなりそこを目指すのはかなりハードルが高いですよね。?
「はい、相当難しかったです。めちゃくちゃ孤独だし、楽屋もひとりぼっちで寂しいし、ひとりでやるっていうのは本当に過酷だなと……。でも、身振り手振りやしゃべり方の緩急などはもちろんすごく勉強しましたけど、どこでアクションをしてどこで引いたらいいか、押し引きのタイミングや雰囲気みたいなものは、これまで人前でパフォーマンスしてきた経験が活きたと思います。だから、どちらかというとステージの演出よりトークの構成を考えるほうが大変でした」
──どんな点が大変で、どんなところにこだわりを??
「いちばんのこだわりは、メンバーの名を出さないこと。自分はGENERATIONSで活動し、GENERATIONSじゃなければ今回のトークライヴができなかったのも確かですが、だからこそひとりで何かをやり遂げたかった。メンバーはみんなキャラが立っているし、GENERATIONSのファンなら、たとえばメンディーさんの名前を出しただけで彼がどんな人でどんな行動をする人かわかってしまう。要は楽なので逆に頼っちゃダメだなと」
──絶対にウケるし、おいしいからこそ、そこに逃げたくなかったと。?
「そうですね。でも皆さんが知らない人の話なら、どんな人物像なのか一から伝えないといけない。それをどう上手く話すか、そしてどうしたら聞きやすくて飽きないものになるか。そこらへんは一緒にやっていただいた鈴木おさむさんともいろいろ話しながら構成しました」
──そうやって作られた11個のエピソードはどれも聞き応え十分。個人的に気に入っているお題はありますか??
「選ぶのは難しいですけど、強いて言うなら『想像を超える』の新卒マネージャー・O君の話。お客さんはO君を知らないし、僕自体どういう子なのかまだわかりきっていないので、本人への取材からスタートしまして。これまでどういうことをやってきたのかとか、先輩に怒られたエピソードとか、マネージメントで難しいこととか。直接聞いて一からキャラクターをわかりやすく作り上げたので、達成感がすごくありました」
──確かに、O君は“想像を超える”人物でした(笑)。?
「たぶんあの日、誰よりもお客さんを笑わせたのはO君だったんじゃないですかね(笑)。あと気に入っているのは『相談』というお題。これは昨年からやらせてもらっているラジオパーソナリティの話で、番組のなかでいろんな相談を受けてきたんですが、上手く答えられない悔しさやもどかしさをずっと抱えていたんです。そんな自分のもがきを包み隠さず話すことができて、1年間の体験をひとつの形にできた喜びがありました」
──「相談」のようにシリアスな話から「想像を超える」のように笑える話まで、本当にテーマはさまざま。でもどれも語り口は多彩だけどウェットにもドライにもなりすぎず常に一定。そのバランス感が絶妙だなと思いました。?
「そこはよくも悪くも自分のキャラクターかもしれません。同じ話を何回しても、テンションを保ちながら話せるっていう僕のキャラクターがすごく活きた気がしますし、常に120%で話せるような構成にできた自信もあります。まぁでも、やっている最中は必死すぎて吐きそうでしたけど(笑)」
──しかも、最後まで1回も水を飲まずに話していましたよね??
「飲みたかったですが、ひとりなのでタイミングがなかったです!(笑)飲まないでおこうと決めていたんですけど、聞き返すと途中から声がガッサガサになっていましたね(笑)。でも僕はそれがむしろリアリティだと思っていて、(トークライヴは)生き物ですからそういうナマ感があっていい。後半にかけてどんどん声が出なくなっていくその変化や一生懸命な姿も、ありのままに見せていくことを意識しました」
──そのナマ感が最も発揮されたのは、やはりラストのお父さんの話。初めて明かされるエピソードでしたが、今回話そうと思った理由は??
「僕自身が聞きたいことを話すのがやっぱりいちばんだなと思ったんです。僕は1歳で母子家庭になってお父さんと会ったことがないので、お母さんにお父さんのことを聞いてみようと思ったのがきっかけです」
──話しているときはどんな気持ちでした??
「僕のなかではお母さんに取材して文字起こしをした時点で完結していたので、あとはそれをどうわかりやすく伝えるかということしか考えていませんでした。お父さんの記憶もないし、どんな人なのかも知らないので、そのディティールを具体的に伝えるためにどんなふうに緩急をつけようかとか、ステージではそういうことをずっと考えていました」
──最後に“お父さんへの手紙”という形で話を終えますが、自分の想いを口にしたことで心境の変化はありましたか??
「それが不思議なことに何も変わらないんですよね。実際のお父さんを知らないので、取材しているときから一個のフィクションを聞いているような感覚というか。『こういう人がいたんだな』って、今もどこか他人のような感じで。ただ、こういう形で話せたことはすごくいい経験になったので、2回目、3回目も自分が純粋に知りたいことを広げていきたい、それを形にしていく作業を続けていきたいと思いました」
──ステージ上でも「毎年開催して、7年目にはGENERATIONSメンバーの話をしたい」と言っていましたが、今後の目標やビジョンは??
「正直、今の時点ではもうやりたくないと思うぐらい大変で、確実に寿命が縮んだんですけど(笑)、一年一年その年の色を出せたらいいなと。で、7年後に振り返ったとき『この年はこういうことがあったな』って思い返せるようなものを毎年形にして残したいです」
──そのスタートとなった記念すべき今回のライヴを自己採点するなら??
「55点!」
──低い!(笑)80点、90点をつけてもいいと思いますよ。?
「いや、自分のなかではちょっと高いぐらい。周りを見ればそれこそ竹山さんとか何百倍もおもしろいですから。でも可能性があるってことで、伸び代を残して55点。残りの45点を埋められるようまだまだ頑張らないとダメだし、まだまだいけると思っています」
『月刊EXILE』( http://www.exilemagazine.jp/ )3月号より