【最新号配布開始】震災の経験と教訓生かすとき「東日本大震災から10年」
東日本大震災の発生から10年が経つ。2011年3月11日、宮城県沖を震源とするマグニチュード9.0の地震は、東北沿岸部に最大震度7の地震と10m超の津波をもたらし、死者・行方不明者は震災関連死を含めて約2万2000人を超えた。 戦後最大の自然災害から10年、震災の風化と長期化する原発事故の影響が浮き彫りになる。本紙記者が訪れた福島県いわき市は、福島第一原子力発電所から約30〜70kmの距離に位置し、原発周辺地域から避難してきた人、市内を拠点に原発作業に向かう人、さまざまな事情を抱える住民も少なくない。「最近は当時のことをあまり話さないね」。住民の複雑な気持ちに触れた。
長引く廃炉作業の影響も深刻だ。増え続ける「汚染水」の問題は、今も復興に影を落としている。今年2月には福島県沖で水揚げされたクロソイから、基準を超える放射性物質が検出され、福島県漁連はこの魚の出荷を停止した。福島県沖の漁で基準を超える放射性物質が検出されたのは2年ぶりだった。「こういうニュースがあるたびに振り出しに戻ってしまう」。地元住民が悲痛な胸の内を明かす。
一方で、先送りできない問題にも直面している。現在、福島第1原子力発電所の敷地内に設置された汚染水用タンクは、すでに総容量の9割が埋まっている。東京電力は、早ければ2022年の秋には、処理水を入れるタンクがいっぱいになってしまうとして、政府に早期の処分方法の決定を求めている。地元住民も「福島だけの問題ではない。議論を深めるべき」と警鐘を鳴らす。
震災から10年が経ち、故郷の誇りを守ろうと歩む人もいる。高校1年生で被災した加藤咲樹さんは、震災後にフラ同好会で仮設住宅などに赴いたのをきっかけに、復興の「顔」フラガールを目指した。起業家・酒井悠太さんは、風評被害に悩む地元農家を救おうと、放射性物質の影響を受けにくい「綿花」栽培でグローバル企業と手を組んで、コットン製品づくりに励む。コミュニティラジオ・FMいわきの安部正明さんは、震災時24時間体制の生放送を約20日間続けた経験から、被災地で「本当に役立つ情報」に耳を傾け、コロナ禍でもその経験を生かした。
10年の節目に立ち止まり、あの日を振り返ることは決して後ろ向きではない。震災の教訓をどう生かすのか。本紙では、福島県いわき市でのインタビューをはじめ、被災地報道に力を注ぐジャーナリスト堀潤氏に話を聞いた。