フラで「気持ちを救われた」 高校生がフラガールを目指したわけ【故郷の誇り胸に、福島が歩んだ10年】

3.11 復興、その先へ


 福島第一原子力発電所の事故から10年が経つ。福島県いわき市には、現在も原発周辺地域から避難した人の仮設住宅が並び、原発作業に従事する人が行き来する。いまだ続く風評被害など様変わりした暮らしのなか、福島の誇りを見失うまいと、未来へ向かい活動する3人に話を聞いた。



【キアヌ咲樹(本名・加藤咲樹)】スパリゾートハワイアンズ ダンシングチーム49期。サブキャプテン・ソロダンサー。福島県出身。震災後、高校2年生の時にフラ同好会に入り、慰問活動で仮設住宅や老人ホームに赴いたことをきっかけにフラガールを目指す。2013年、スパリゾートハワイアンズ入社。

フラで「気持ちを救われた」

高校生がフラガールを目指したわけ


スパリゾートハワイアンズ ダンシングチーム キアヌ咲樹さん


 東北復興の「顔」、フラガールとしてスパリゾートハワイアンズのステージに立つキアヌ咲樹(本名・加藤咲樹)さんは、あの日の出来事から「人を笑顔にすること」に全力を注ぐと誓った。震災から10年、今もその思いは変わらないという。


 高校1年生の時、自宅で東日本大震災に遭った。内陸部で津波の被害はなかったものの、原発の不安が襲った。テレビで流れるニュースを見て「大変なことが起きてしまった」と、絶望した当時を振り返る。


 加藤さんが「人生を変えたきっかけ」と話すのは、フラとの出会い。きっかけは、高校2年生の時に、担任の先生にフラ同好会に誘われたことだった。それまでフラの経験はなかったが、震災から半年が経った頃、慰問活動として、毎週仮設住宅や老人ホーム、幼稚園をめぐった。踊りを見た人が涙ぐんだり、喜んでくれる姿を見て、自分にもできることがあると気持ちが救われた。進路を決める高校3年生、「人を笑顔にできる仕事に就きたい」と、自然と思いは地元のハワイアンズへ向いた。


 そこから7年間、フラガールとしてステージで踊り続けた加藤さん。お客さんの笑顔を見て、この仕事に就いて良かったと確信した。サブキャプテンとしてソロでステージに立つようにもなり、ダンサーとしての自信もついてきた。



 


 だが2020年、新型コロナウイルスの感染拡大で、スパリゾートハワイアンズは昨年4月、約3カ月間の休館に追い込まれた。休館中も毎日本番のステージ・音響で再開に備えリハーサルを重ねたが、それでも誰もいない客席に向かって踊る日々に、虚しさを覚えた。「正直“なぜ私は踊っているんだろう”って思ったこともありました。でもお客様はきっとまた来て下さると信じて、それだけがモチベーションでした」


 7月、営業再開後に立ったステージは忘れられないのだという。ステージを見に来た観客が涙を流し、一緒になって再開を喜べたことがうれしかった。コロナ禍の経験で気づいたのは「お客様がいることが当たり前ではない」ということ。踊れることのありがたさを強く実感したという。


 東日本大震災から10年となる今年3月11日、スパリゾートハワイアンズは「絆」をタイトルに掲げた新しいショーをスタートさせる。タイトルは「絆〜Holo I Mua(ホロイムア)〜」。ハワイ語で「前に進め。いつでも前向きに行こう」の意だ。加藤さんにとって「絆」は、ステージの出演者やスタッフとの絆。7年間、復興に向けて共に1つのショーを作り上げた日々を重ねながら、ショーを見る人にも前向きなメッセージを届けたいのだという。「人を笑顔にする」——加藤さんの原点はこれからも変わらない。


(TOKYO HEADLINE・丸山裕理)