避難区域の保護猫と暮らして“9年目”の春に思うこと「10年の節目に、つらさがよみがえった元飼い主に伝えたい」
心を閉ざしたように無反応「懐かなくてもいい」と思ったが…
「家に来てすぐ動物病院に健康診断に行ったところ、5歳くらいではないかということでした。大きな病気は無く、体重も5キロ以上あったのですが、お腹に虫がいっぱいいたので虫下しの治療をしてもらいました。あと、よく見たら前歯がなかったんです。獣医師さんが言うには、自力で生きていた間、昆虫を採るため木の皮をかじったりしていたのでは、と」
体はほぼ健康だったが、テツ男の様子はやはり譲渡会で見たときのまま。鳴き声を上げることも無く、無反応で殻に閉じこもるような様子だった。
「1カ月くらいは押し入れから出てこなかったですね。私が仕事に行っている間に出てきてご飯を食べたりトイレをしているという感じで。でもやがて、私がいる間にも出てくるようになり、出てきてもすぐ押し入れに戻らなくなり、膝の上に乗ってくるようになり…3カ月経ったころにはすっかり心を開いてくれていました」
当初は、このまま懐かなくてもいいと思っていた、と山本さん。
「もともと猫って気ままですしね。懐かない猫もけっこういるし、それはそれでいいと思っていました。だから押し入れから引っ張り出したり、無理に触れ合うことは絶対にしませんでした。でも心を開いてからは距離が縮まるのも早くて。まさかこんなに甘えん坊で人懐こい子だったなんて(笑)」
懐かなくてもいいと思ったのには、もう一つ理由があった。
「もし飼い主が名乗り出て、確認などの条件がそろった場合は返すという契約書を結んだんです。だから、情が移る前に飼い主のもとに返してあげたいと思い、しばらくは保護された福島県の保護猫団体の掲示板に“この子を預かっています”と写真を投稿していました。その掲示板では“この子を探しています”という投稿もたくさんありました。保護しました、という投稿より多かったかもしれない。震災から1年経っても、別れてしまった飼い猫を探している人は、たくさんいたんです」
結局、連絡はないままテツ男は山本さんのもとで幸せな9年間を過ごしている。
「9年前のちょうど今の時期にはすっかり懐いてくれて。もう私にとってもかけがえのない存在です。保護猫だということも普段意識することはなくなってしまったのですが今年、震災から10年の節目を迎えて、もしかしたら元の飼い主さんも改めてこの子を別れたつらさを思い出してしまったのではないかな、と思ったんです。避難区域に置いてきてしまったと自分を責めているかもしれない。過酷な状況で生き延びられなかっただろうと悲しんでいるかもしれない。せめて無事だと、“とてもいい子で、元気でやってますよ”と伝えてあげられたらいいんですけど…」
きっと、とてもかわいがられていたはず、と山本さんは言う。
「この子、初めて来たお客さんにもすぐ懐いて、もみくちゃに触られてもまったく嫌がらないんです。性格がおっとりというか…一緒に暮らしている犬にオヤツを取られても怒らないし、保護猫シェルターにいたときも他の猫にエサをとられていたとかで、よく1年近く自力で生きていたと(笑)。そういう性格もあると思うんですけど、何より人間に虐められていたらこんなに人には懐かないと思うんです。もしかしたら自由にいろんな家を出入りしていくつも名前があったかもとか、いろんな人にかわいがられていた地域猫だったのかもとか、子供時代を空想しています(笑)」
震災から10年。日常を取り戻しても、やむなくペットと別れなければならなかった多くの被災者は、折あるごとにつらい気持ちを思い返しているかもしれない。
「でも、保護されて幸せに暮らしている子たちもたくさんいますから。どこかで幸せに生きているかもしれないと考えて、少しでも気持ちを軽くしてほしいですね」
それが、今なおペットとの別れのつらさを抱えるすべての飼い主への、山本さんの願いだ。