根木慎志「2度目の東京パラリンピックは、 世界に何を伝えられるか」
1964大会と2020大会
2度目を迎える東京パラリンピック。日本で初めて開催された1964年大会から現在まで、社会はどのように変わっただろうか。
「変わったことと、変わっていないことがあると思います。変わったこととしては、日本人の障害を持つ人に対する固定概念ですかね。(1964年の東京パラリンピックで)日本の人たちは何を思ったかというと、“障害者の人たちは困ってて大変”という、これまでの固定概念が崩れたことです。まさに、発見だったと思います。1964年の東京大会には53人の日本人選手が出場しましたが、その多くは病院や療養所の訓練生でした。それまで日本では、スポーツをしたり、車いすで外出することが難しい生活環境でしたが、選手村にきた海外の選手団の人たちは、凛としてかっこよくて、大会後には、銀座の街に繰り出してショッピングを楽しんだりしていて。まだまだ街中にバリアはたくさんあったけれども、堂々と街に出ていく。その姿に衝撃を受けたと思うんですね。だから“自分たちでもできるんだ”とか“チャレンジしている人たちがいるんだ”ということを、自分ごととして感じられたというのは、大きな変化だと思います」
一方で、変わらないと感じることもあるという。
「まだまだやっぱり障害について、世の中がどのように見ているかというのは、変わらないところもあります。僕らパラリンピアンはシビアに見ていて、それを変えるのが、今大会後の勝負だなと思います。村長の川淵(三郎)さんと9年前にイベントでご一緒した際に、“いま世の中が君たちを見てくれているのは、東京にオリンピック・パラリンピックが来たから。みんながこちらを向いている時に、君たちが本当に伝えて、行動していかないと、時が過ぎるとみんな忘れてしまうよ”と言われたことが、心に残っています。行動する大切さを教えてくれましたね」