【インタビュー】吉村昭の哲学を食と酒を軸に描く『食と酒 吉村昭の流儀』谷口桂子さん
第五章「吉村家の食卓」では、妻で小説家の津村節子との絆も描かれる。
「作家・吉村昭を誕生させたのは間違いなく津村節子だと言えます。津村さんが芥川賞を取って『あなた、会社をやめて下さい』と言ったことで、吉村さんの作家としての道がひらけるわけです。会社勤めを続けていれば『星への旅』『戦艦武蔵』はなかったですし、作家としてどうなっていたか分かりません。どちらにとってもなくてはならない存在で、こんな夫婦は他に知りません。
でも、津村さんの一番すごいところは、ちゃんと自分で元を取っていること。芥川賞候補になった『さい果て』は夫との放浪を、集大成である『紅梅』は夫の看取りを小説という形に残しているのはすごいと思います。2人は小説を離れたら生活者同士として、家の中に決して作家や作品を持ち込みませんでした。だからこそ、きちんとした日常生活が送れたんだと感心しています。この本はお店案内、旅のガイド、夫婦のあり方……いろんな読み方ができるかもしれませんね」
吉村昭の作品を通読して改めて発見したことは?
「解説の出久根達郎さんもおっしゃっているように、小説では感情を押し殺した淡々とした文章ですが、エッセイには『情』という言葉が頻繁に出てきます。読んでいて意外に思いましたが、その幅の広さが吉村昭の魅力でもあるんですよね。
料理を出されたらうまいと言うか黙っているか、酒席でからまれそうだと思うとさりげなく逃れるのが吉村さんの流儀です。そこでふと思い出したのが評論家の江藤淳さん。彼はなじみの寿司屋で、気に入らないことが3回あると二度と顔を出しません。しかも、家に帰ってから店に電話して、なぜ行かないか理由を伝えるというのです。
吉村さんがあれだけまとまった量の仕事を残されたのは、無駄なことはしない人だったからだと思います。もう二度と行かない店に、わざわざ電話するのは時間とエネルギーの無駄。吉村さんは日常生活で波風を立てずに暮らすことを常に心がけ、自分の持っている時間をすべて仕事に傾けました。あれだけ膨大な仕事をこなされたのは、そうした身の処し方によるものだと思うんです。吉村昭の処世術をテーマに、もう一冊本が作れるんじゃないかしら?」