【インタビュー】少年忍者の川﨑皇輝が伊能忠敬の偉業に「答えのないものに挑戦するすごさを感じました」
アナログなものには親しんでいない世代ですね。
「僕は本の辞書とかも、最終的に高校生のときも使ってなかったんです。小学校のときに引き方を覚えたけど、中学から電子辞書を使っていて、その中にいろんな辞書が30冊くらい入っていたので。でも今の子どもたちはもっとすごくて、僕でもビックリすることがあるんです。この間、飲食店に行ったとき、お箸を持つのがまだ苦手そうなコがいたんですけど、チラッと見たらパソコンをいじっていて。ビックリして、“キミ、さっき、お箸持ててなかったよね”と思って(笑)。時代というか、テクノロジーの進歩ってすごいですよね」
そんな川﨑さんが、実際に伊能忠敬が歩いて測量した場所を訪れて、何を感じましたか?
「最初に、伊能忠敬が暮らしていた千葉県の(香取市)佐原に行ったんですが、商売の人だったというのを知らなかったんです。当時のエリートで、地図を作るのも自分の興味から始まったということで、そういう才能とか、知的な部分や人間性も見えてきたので、一から解説していただけたのは貴重だったなと思いました。伊能忠敬と同じように歩いて測る“歩測”にも挑戦したんですけど、それこそ地面も平らじゃないし、歩きづらいところを歩幅を合わせて歩いたり、糸などを使って測れるものを作ったりしていたけど、今と比べるとさすがに不便ですよね。それを10何年も続けて日本地図を完成させる気力は、途方もないものだなと思いました。Google Earthを教えてあげたいですよね(笑)。こうやったら拡大できるんだよ、世界の街並みも全部見えるんだよって(笑)」
今は地図だけでなく、居ながらにして何でも見られますからね。
「でも僕も、実際に自分で見ることのほうが好きなんです。旅行が好きなので、自分の足でいろんなことを体感したいという気持ちが強いんですよ。今回のロケも、佐原だけでなく、千葉の銚子も初めてだったし、鹿児島も行ったことがなかったので、遠出ができたこと自体楽しかったです。測量は基本海沿いなので、行く場所行く場所で潮風を感じられてうれしかったですね。僕は海が好きでよく行っていたんですけど、去年、撮影でたまたま海の近くに行って以来、観光としても行けてなかったので」
初めての鹿児島ロケはどうでしたか?
「遠くまで来たなっていう感じがしましたね。普段、東京にいると、海を挟んで反対に土地があるっていう風景に接していないので、実際、鹿児島に行って、逆の半島が見えるっていう景色の違いも感じました。“これは地図で見た通りだ!”“ここがあそこか!”って。飛行機から見るとよく分かるんですけど、鹿児島の半島ふたつと桜島が見えたりして、これが鹿児島なんだなって実感しました。でも、今僕らは空から見ることができますけど、(伊能忠敬は)それを歩いて測ったなんて、凄すぎますよね」