石原慎太郎元東京都知事が死去。2011年には大震災からの復興の一環として2020年夏季五輪の招致を表明

1995年4月10日の石原氏。この4日後に衆院本会議での演説中に議員辞職を表明(写真:Fujifotos/アフロ)

1995年には衆院本会議での演説中に議員辞職を表明

 1995年4月14日には衆院本会議での議員在職25年表彰の謝辞の中で議員辞職を表明。本会議終了後に辞職願を衆院事務総長に提出した。その後に行われた会見の際に「(再び国政や知事選に立候補することは)考えていない。新党結成などしない。政党を信じられない」などとして、政界に戻る意思のないことを言明した。

 しかし1999年4月には東京都知事選挙に立候補し、約166万票を獲得し2位の鳩山邦夫氏にダブルスコアの圧勝。その後、3回の当選を果たした。4期目途中の2012年10月には前年4月の当選からわずか1年半で辞任。12月に行われた第46回衆議院議員総選挙に日本維新の会から比例代表の東京ブロックで立候補し、再度の国政復帰を果たした。

 その後、2014年には分党し新党「次世代の党」を結成。同年12月に行われた「第47回衆議院議員総選挙」の前に高齢と自らの体調不安を理由に引退を示唆したが、党内からの強い希望もあり、比例単独候補(東京ブロック)として出馬。石原氏の知名度でなんとか後輩議員を当選させたいという思いから比例順位は最下位の9位だったが、次世代の党は一人も当選者を出すことはできなかった。