石原慎太郎元東京都知事が死去。2011年には大震災からの復興の一環として2020年夏季五輪の招致を表明

2017年3月20日、「豊洲市場移転問題」に関して都議会百条委員会で証言する石原氏(写真:Natsuki Sakai/アフロ)

2017年には「豊洲市場移転問題」で都議会百条委員会に証人喚問

 政界引退後の2015年には春の叙勲で旭日大綬章を受章。2017年には都知事在職中の「豊洲市場移転問題」に関して都議会百条委員会にて証人喚問を受けた。証人喚問では2年前に患った脳梗塞の後遺症で「記憶を埋蔵している『海馬』という部分がうまく働かない。ひらがなさえも忘れた」と述べ、証言では豊洲市場への移転を決めた責任を認める一方、東京ガスとの交渉の経緯などについては「報告を受けた記憶がない」などと主張した。

 都知事時代はディーゼル車排ガス規制、東京外かく環状道路整備凍結の解除および推進、臨海副都心開発、不法移民対策・歌舞伎町浄化作戦などさまざまな政策を実行。しかし最も都民の記憶に残るのは夏季オリンピック・パラリンピックの招致活動か。2016年の招致ではリオデジャネイロに敗れたが、4期目の当選を果たした2011年6月に都議会の所信表明の中で、東日本大震災からの復興の一環として、2020年に夏季五輪を招致する方針を明らかにした。しかし本人は翌年に国政に復帰したことから、本格的な招致活動は石原氏の後を受けた猪瀬直樹都知事に引き継がれた。

 また最近の東京都知事選ではすっかりおなじみとなった、著名な候補がぎりぎりまで出馬を正式表明せず、有力候補があらかた顔をそろえた段階で、最後の最後に出馬を表明する、いわゆる「後出しジャンケン」も石原氏が初当選を果たした1999年の都知事選から始まっている。

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