「僕らはそこから逃げられない」『流浪の月』李相日監督はいかにして広瀬すず、松坂桃李、横浜流星ら俳優陣と過酷な撮影に挑んだのか
自分の価値観や人生観を揺るがされるような感覚に心がざわめきながらも、折に触れ、何度となく「もう一度見たい」と思う映画がある。そんな映画を生み出してきた日本の映画監督の一人、李相日(リ・サンイル)監督が、最新作『流浪(るろう)の月』を語る。
『怒り』後も広瀬すずの成長を見守り…「生まれて初めて“朝ドラ”を全話見ました(笑)」
「自分の映画は、あまり見返したりはしないですね。やはり見ると、どうしても“ここをもっとこうすれば…”と反省ばかりなので。見返すとしても、気に入ったシーンだけです(笑)。『フラガール』だったら、冒頭やクライマックスのフラのシーンとか、『許されざる者』なら、終盤の渡辺謙さんと柳楽優弥くんのシーンとか」
苦笑しつつ明かしてくれた李監督だが、その最新作『流浪の月』は、いち早く見た人たちから「圧倒された」「もう一度見たい」という声が続出。
10歳の時に、誘拐事件の“被害女児”となり、広く世間に名前を知られることになった女性・家内更紗(かない さらさ)と、その事件の“加害者”とされた当時19歳の青年・佐伯文(さえき ふみ)。時を経て、それぞれに恋人を持ち、一見ごく普通の日々を生きていた2人だが、ある日思いもかけず再会し…。
更紗を演じるのは、李監督とは『怒り』に続いて2度目のタッグとなる広瀬すず。
「広瀬さんのことは『怒り』で、ある意味、彼女が俳優として立ち上がる瞬間を見せてもらったので、一回りも二回りも大きくなった彼女と改めて仕事してみたいと思いました。この作品に限らず、いつかタイミングが合えば、成長した彼女と関わればいいなと思っていて、どんどん大きくなる姿を見つめていました。『連続テレビ小説「なつぞら」』で主演もしていましたし…思えば、生まれて初めて朝ドラを最初から最後まで全話見ました(笑)。見てたよと本人に言ったら、頭を抱えていましたけど(笑)。まさに成長の真っただ中のエネルギーにあふれている、彼女のそのエネルギーに賭けたいと思ったんです。今回、彼女のしなやかさなのか華やかさなのか、スクリーンに映える力とでもいうか、広瀬すずという俳優が持つ力と、さらなる伸びしろを改めて感じました」
一方、文役には『新聞記者』や『孤狼の血』シリーズの松坂桃李。李監督とは今回初タッグとなる。
「まず、このキャラクターを演じることができるたたずまいを持っている役者は…と考えたときに、松坂桃李さんが浮かびました。彼は、あれだけ多くの作品でさまざまな役を演じているにも関わらず、何にも染まらない芯を持っている。演じる役によってどんなに激しくもコミカルにもなれるけど、実はその芯の部分は常に静かに佇んでいる気がして。そんな彼独特のシルエットが、文という人物に繋がると確信したんです。文は、手がかりがあるようでいて実はどういった人物なのか、かなりつかみづらい役。リハーサルの段階でも、2人でどう表現していくかを一緒に悩みながら過ごしたんですが、撮影初日に、松坂さんがカメラの前に立った時、ものすごい説得力があった。“空虚な瞳”とはこういうものだと、思わせてくれた。大したものだなとただただ驚きました」
それぞれの役に迫りながら、李監督の予想を超えた化学変化も生み出した広瀬と松坂。劇中では、ベテラン俳優でさえひるんでしまいそうな過酷な描写も演じきる。これまでも衝撃描写から目を背けることなく、人物の痛みを描いてきた李監督だが、過酷な描写を演じる俳優たちに、どう向き合っているのか。
「当然、そういった場面は原作にも綴られていますし、台本にもどんなシーンがあるかは書いてあるので、俳優たちも内容を理解したうえで撮影に臨んでいます。しかし実際に演じるとなると、精神的な負担をリアルに感じることになる。それは、被害を受ける側だけでなく、加害する側の役者も同様です。例えば本作だと、更紗の恋人・亮役の横浜流星くんの暴力シーンは、やられる側の広瀬さんと同じくらい、やる側も相当にしんどい芝居。過酷描写の撮影では、両者に等しく痛みが発生するんです。ただ、映画を作るとなった以上、そこから逃げることはできないと思っています。監督も俳優も、一緒になってそこに立ち向かっていくしかないんです」
李監督のもとに集った俳優たちの多くが、難しさや大変さを語ると同時に李監督への信頼感をあらわにする。そこには、どんな過酷描写にも俳優に無用な不安を感じさせない現場づくりを徹底する、李監督の姿勢がある。
「ラブシーンであれ暴力シーンであれ、センシティブな場面ではとくに、撮影に入る前からキャスト、スタッフと入念にプロセスを確認し合います。“自由にやってみてください”ということは無いですね。始まりから終わりまで、すべての動きをまずはスタッフが先にベースを作って見せて、それから俳優を交えて、また一つひとつ確認したのちに撮影していきます。大切なのは、人物がそこに至る心境を伝えられるか。なので、体の動きやセリフを一緒に形作り、役者が感情表現に集中できる環境を心がけています」