三代目 JSBの今市隆二「誰かを喜ばせたいって気持ちは年々強くなっている」 新曲携えソロツアーへ〈インタビュー〉

 

ーー 今市さん自身は日本語のどんなところに「好き」だったり「素敵」を見つけたのでしょうか?

……うーん、そもそも母国語だし(笑)。それで生きてきたわけだから、本来そこは好きであるべきだと思います。

 世界に行くにはどうすればいいんだって、アーティストそれぞれいろんなことを考えていると思います。言葉の壁を乗り越えるワールドミュージックを作る人もいるし、英詞を書いて英語で歌ったり。本当だったら、自分たちが日本語で作っている音楽をそのまま届けられれば一番素晴らしいだろうけど。ただ、以前と比べると、時代が移り変っていく中で、日本語のままで届けられるような状況もできつつあるんですよね。自分たちが本来やってるものを届けた方がオリジナル性があるんじゃないかって感じます。

ーー 近年、日本のシティポップが注目を集めたり、こちらは随分前からになりますがアニメやその周辺の部分であったり。アニメ作品の主題歌を担当するアーティストやグループが海外で行ったライブの映像を見たりすると、オーディエンスは日本語で一緒に歌ってますよね。

向こうの言葉に合わせる必要もそんなになくなってきた感じはあるみたいですよね。ただまだまだですけど。特に“音楽だけで”となると、そこまでいけてない。ただ、「あいつら、何言ってるかわかんないけど楽しい」っていう人たちは確実にいると思うんです。それで、いいと思うところもありますし。

ーー「日本語を使ったところに行ってみよう」というマインドになったことで、作詞はもちろん作曲であるとか楽曲制作に対する臨み方やスタンスに変化はありましたか?

 譜割りってあるじゃないですか?  4つの音があったら4つの文字というか音しか乗らないんですけど、ひとつの音に2 文字を詰めたいとか譜割りを細かくしていくことで英語っぽく聞こえたりとかリズムが出しやすくなる。それって格好よくもあるんですけど、逆に何を歌っているか分かりにくくなるというデメリットもあります。数年前は細かくしてたけれど、今は大きく作っていくことをやるようになった気がします。それが歌謡曲の良さでもありますし。

ーー大きく作るアプローチのメリットみたいなものはありますか? より曲のアイデアが沸いてくるようになったとか、オリジナリティであるとか。

メリットというか、自分はもともと歌が好きで、歌謡曲というものが自分のなかに根付いているんです。敢えて良かったことがあるとすれば、日本語が好きな人が増えたことで、その良さをいろいろな人たちが感じてくれること。日本語がしっかり伝わって残る曲になると思っています。時代によって注目を集める音楽は違いますけど、アーティストなら誰でも残る楽曲を作りたいというのはあると思います。

ーー今市さんの中に根付いている曲というのは、例えばどんな曲ですか?

中西保志さんの「最後の雨」(93年)とか、山根康広さんの「GET ALONG TOGETHER
– 愛を贈りたいから -」(93年)など。そのころって、ロックの人たちも、歌いたくなるようなメロディーが美しい楽曲も多かったですよね。そうした曲は今も残っているし、愛されています。今の日本のヒットチャートを見ていても感じますね。

ーーメロディーって大切ですよね。

歌いたくなるようなメロディー、重要ですよね。