老いの不安をあおるメディア、弱者が助けを求めにくい社会…『PLAN 75』早川監督が描きたかったのは「それでも生きることを肯定する映画」

撮影・小黒冴夏

 ホテルの客室係として働き、慎ましく1人で暮らす78歳のミチ(倍賞千恵子)。市役所の職員として〈プラン75〉の申請窓口で働く青年ヒロム(磯村勇斗)。フィリピンに夫と病気の娘を残し来日した介護職のマリア(ステファニー・アリアン)。さらに〈プラン75〉コールセンタースタッフの瑶子(河合優実)も含め、登場人物たちは、それぞれの思いを抱えながらも〈プラン75〉を受け入れた社会に身を委ねていく…。

「脚本を執筆するにあたり、ミチと同世代の15人ほどの方に取材したときも、ほぼ全員が“もしこういう制度があれば選択する”とおっしゃっていました。皆さんが言うには“自分は子どもや孫、人に迷惑をかけたくないから”と。人を思いやるのは当然、悪いことではありません。でもそれが度を過ぎると、人に助けを求められない社会を作ってしまうのではないか、とも思うのです」

 なぜ社会の一員が、社会に助けを求めづらいのか。

「それを叩く風潮があるからでしょうね。社会に、自己責任という感覚が根深く広まってしまっているんじゃないかと思います。私が、その言葉に最初に違和感を抱いたのは、イラク日本人人質事件(2004年)のときの政府内での“自己責任”発言でした。私は当時アメリカで暮らしていて、ちょうどそのとき日本に一時帰国していたのですが、友人と会ったときに“なんで私たちの税金で、自分で危険なところに行った人を助けなきゃいけないの?”という彼女の言葉にびっくりしたんです。それが、自己責任という言葉に対して違和感を覚えた最初でした」

 当時のパウエル米国務長官は「日本は危険を冒して現地に行った彼らを誇りに思うべき」と発言。アメリカでの世論は日本とは真逆で、現地メディアは人質に対する日本でのバッシングや自己責任論を驚きとともに報じた。
 そして近年、再び“自己責任”という言葉が、社会的に弱い立場にある人たちに向けられている。だからこそ「生きることを肯定する映画を作りたかった」と早川監督。「最初は、何というひどい話だと思った」という倍賞も、監督の思いに触れ出演を快諾した。

「監督に会ってから決めたいと仰って、お会いする機会を設けていただいたんです。そこで私が何をこの映画で描きたいかということをお伝えし、倍賞さんも“このラストなら…”と言って引き受けてくださったんです。本当にうれしくて、最初の本読みのときに、倍賞さんに自分が書いたセリフを読んでいただいた瞬間、大感激してしまいました。倍賞さんが言うと、すべてがものすごく良いセリフに聞こえるんです(笑)」

 その倍賞から「どんどん映画を作って」とエールを贈られた監督。映画監督を志した始まりとは。

「小学生のころ、小栗康平監督の『泥の河』という映画を、子供向けの上映会で見たんです。モノクロだし、昔の映画だし、最初は“なんでこんな古い映画?”と思っていたんですが、いつの間にか見入っていました。そこには、自分が漠然と抱いていた感情が描かれていて、この映画を作った人は私を理解してくれていると、初めて映画の作り手を意識したんです。この人が描いた気持ちを、私は知っている…と少し誇らしく思えたりもして(笑)。映画っていいなと思うようになり、中学生のころには映画の作り手となることを意識するようになっていました」

 次回作で描きたいアイデアはいくつもあるが「しばらくは本作に集中ですね(笑)」。最後に、もし早川監督がミチと同年齢のときにこのテーマで映画を作るとしたら?と聞いてみると…。

「どんな映画になるんでしょうね。40代で70代の人物を主人公に描くにあたり“若造が、何も分かってない!”と思われるのでは…という不安は大いにあるのですが(笑)。でも40代の今、撮りたいと思った物語を描くことができたので、70代で撮るとしたら、そのときに一番描きたい物語を撮れるといいなと思います」

(TOKYO HEADLINE・秋吉布由子)