教えて!PSYCHIC FEVER 人生最大のバトルは?
剣:ダンスがしたくて……お父さんとバトル
僕は3歳の時から空手をやっていて、小学校の頃は成績も良くて1位ばっかりでした。中学になってダンスに目覚めるんですけど、両立ができなくて、親は「ダンスはダメだ」って。どうしたら空手を辞めさせてくれるかと聞いたら、空手で優勝したらいいよって言うんです。それなら優勝するわ!って。
大会では決勝まですぐ行ったんですけど、そこで負けて結果は2位。それだと空手は辞められないじゃないですか。それで僕がしたのは、2位の賞状やメダル、トロフィーをもらわずに帰っったんです。それで、そのまま静かに空手を辞めました(笑)。お父さんは「そんなふうに空手を辞めるんだったら、ダンスで結果出さないと……わかってるだろうな?」って。夢が叶いました。
中西椋雅:東京に行くか、それとも行かないか--19歳のバトル
僕の人生最大のバトルは、自分とのバトルです。僕は小学3年生の頃からEXPG(LDHが運営する総合エンターテイメントスクール)に通っていたんですけど、なかなかうまくいかなくて、何回も挫折しました。それでも20歳になるまでに夢を叶えたいと思っていて、それまでずっと大阪校に通っていたんですけど、19歳の頃に、1年間だけ東京に出てチャレンジしてみようと思ったんです。それでも行くか行かないかみたいなバトルは自分のなかであったんですけど、叶えたい夢があったんで、出てきました。上京してからの1年間で僕の人生はすごく変わりました。あの時に出てこなかったら、PSYCHIC FEVER にはいなかったと思います。
渡邉廉:陸上のライバル、そして自分とのバトル
中学の頃、僕は陸上部で短距離をやっていました。中1の時、左足を怪我していた状態で市内の大会で100メートルと200メートルに出場して、100メートルはいい結果で終わったんですけど……。200メートルって、経験者ならわかると思うんですけど、スタミナもスピードも問われる競技なんです。100メートルで戦って勝った選手もいたので、200でも勝たないとって、左足を庇いながら走りました。そしたらピキーンとなっちゃって、途中リタイア。そこで自分の負けず嫌いな性格が生まれました。この失敗はもう許されないと足を直し、中学2年生の大会ではいい結果を残して県の大会まで進めました。
JIMMY:小学校の部活動でバトル!
僕の学校は夏と冬で部活動を変えることができて、冬はサッカーかバスケでした。僕はバスケが好きなんですけど、友達がみんなサッカー部に行くというので……寂しいし楽しくないから僕もサッカー部に行きました。もともと運動は得意な方なのでレギュラーになって、センターバックで守っていたんですけど、勝てるなという試合で上から飛んできたボールを腕でパンと叩いてしまって初めてのイエローカード……ここで手が出るってことは僕はバスケ部しかねえなって、そのままサッカーは引退してバスケの人生を歩むっていう、そんなバトル・オブ・部活動でした。その時、バスケの人生を歩もうとしたのに、いま僕はここにいるんですけどね。