淡々と描かれる“あの時、沖縄で何が起こっていたのか”骨太の戦争映画『島守の塔』【黒田勇樹のハイパーメディア鑑賞記】

 こんにちは、黒田勇樹です。

 千秋楽が中止となってしまった三栄町LIVE×黒田勇樹プロデュースvol.12『黒田薔薇少女地獄』なんですが、記録映像が発掘されまして、この度、アーカイブ配信をすることになりました。配信期間は8月11〜24日です。夏休みのお供にぜひ。

 それでは今週も始めましょう。

©2022 映画「島守の塔」製作委員会 『島守の塔』7月22日(金)よりシネスイッチ銀座ほかにて全国公開

 戦争映画を語る時に、事実を調べるには膨大な時間がかかるし、もはや記録が残っていないことも多く“真実”として確信を持つことは難しいので、思想や立場を出来るだけ除いて「映画としての感想」を書こうと思っているのですが、この映画はそこに凄く誠実で、ゴツンとストライクボールを投げられた気分でした。

 舞台は、第二次世界大戦中の沖縄。

 どうしても物語で戦争を扱うとき、誰かをヒーローにして「思想的」もしくは「感情的」に、描かれることが多いなか、表現があっているかはわからないのですが、淡々と“再現ドラマ”の様に2時間をかけて、時系列通りに「あの時、沖縄で何が起こっていたのか」が描かれている、「群像劇」という表現が一番合っている作風の本作。

 人物像などは、脚色や想像の部分がたぶんにあるとは思うのですが「出来事」に関しては、かなり正確に描かれていた印象。

 映像も、テロップの文字も淡白で、前半は「もうちょっと情緒がある画角や、フォントがあるんじゃない?」と、映画というより再現ドラマ感に、物足りなさを感じていたのですがストーリーが進むにつれ「ああ、この“事実”自体が“物語”なんだ」と、突き刺さるような演出でした。

「命の大切さ」を真正面から書いた作品で、生き物や植物を愛し、食べ物をありがたがり、家族や友達を想う、そういう描写を、沖縄の自然の中で描いていく。

 そしてやってくる戦火の中で「誰が生きて、誰が死ぬのか」「母が泣いては、立派に死んだ息子の死を、汚してしまう」等、嘘偽りなく、当時語られたであろう議論が次々に描写されていく。

 数多の沖縄映画を観ながら「沖縄のヤツら、いつでも踊ってんな」と、思っていた筆者なのですが、この映画で「あの踊りにどんな意味があるのか」を知り、今後、涙なくては踊れないというか、もはや「踊りたい!」。

 こういう内容は賛否あるでしょうが、観るか観ないかで言えば「観てから語れ」と思う、素敵な作品でした。

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