ディーン・フジオカは賛否両論を越えて進化する
ディーン・フジオカが考える“賢さ”とは?
小比類巻たちもまた、事件を通して最先端科学の光と闇、両面に向き合うことに…。演じながら小比類巻に感じる魅力も、その両面性や彼が抱える矛盾にあるという。
「小比類巻は、仕事のときは警視正として社会に尽くす、とても抑制の利いた人物で、プライベートでは愛情深い父親であり亡き妻を思い続ける夫。しかし実は、妻を生き返らせるために冷凍保存しているという狂気的な一面もある。僕は、その矛盾が人間らしいなと思うんです。脚本を読んで最初に感じた彼の魅力が、この矛盾を抱えて生きている姿でした。その矛盾も、根底に愛があるから生まれたものという点が人間らしくていいな、と思いました。賢さを追い求めることだけが正解なのか、と」
海外で活躍の場を自ら作り出し、国内外で俳優としてミュージシャンとして、さらに幅を広げるディーン・フジオカは、まさに知性と情熱あふれる存在。そんな彼が思う“賢さ”とは?
「どの文脈で使うかにもよると思いますが…まさに科学と同じ、両面の意味を持つ言葉じゃないかな、と思います。もちろん基本的にはポジティブな言葉だと思いますよ。人に“賢い”といえば普通は誉め言葉になりますし。でも、人間の賢さなんて、たかが知れていると思うときもあるんです。賢いと思って選んだ選択が真逆の結果につながることは往々にしてありますよね。賢さゆえに本質を見失う。賢さゆえに打算的になる。賢さゆえに危険を避け冒険をしなくなる。賢さゆえに想像力を狭めてしまう…。賢いことは基本的には良いことだけど、謙虚な姿勢を忘れてしまうと負の部分が出てくるんじゃないかな、と。賢く立ち回ることで小ぢんまりと終わってしまったり、本質を見失うというのは、僕自身も物を作る人間として気を付けたいと思っていることです。僕にとって“賢さ”とはそんな言葉です」
矛盾を抱えた主人公をこれほど魅力的に演じたディーンだからこその言葉。
「今回、主題歌の『Apple』では、小比類巻を演じるうえで、自分の中で言語化できないものを表現しました。僕がこれまで考えていたことや思いも込めて書き下ろした曲なのでぜひ『Apple』聞いてください(笑)!」
サラッと主題歌のPRを織り込むとは…やはりスマート…。そんなディーンは、同時に「全員が正しい」ことへの危機感も語る。
「10人中10人が良いという場合より、10人中9人が良いと言ったら残りの1人が全力でダメだと言う状況のほうが、安全なんじゃないかなと思うんです。例えば蘭は、ものすごく多様な進化を遂げた植物で、中には空中でも育つ種類もあるほど。正しい遺伝子情報のままに成長しなかったものが、特殊な環境で生き残ることもあるわけです。そういう意味でも“全部正しい”というのはむしろ危険なのかもしれない」
それは、自身の評価においても同じだと言う。
「けっこう批判も頂いています(笑)。でも僕は、とくに作品に対しては、賛否両論あったほうがいいと思っています。初めて自分で企画・プロデュースした映画『Pure Japanese』も“訳が分からない”とか“変な映画”といった意見もある一方で“何度見ても新しい発見がある”と、何十回も見てくれて僕らがたどり着かなかった視点にまで到達した人もいました。共鳴や反響は、すべて絶賛されるものからは生まれにくいんじゃないかと思うんです」
いろいろな意見が飛び交うことこそ望むところ。
「僕にとってそれは、モノづくりにおける意義の1つでもあります。『Pure Japanese』にしても、ディスカッションの機会になればいいなと、あんな危ないタイトルをつけたので(笑)。だからいろいろな意見があったほうが、ちゃんと届いているんだなと思います」
ディーン・フジオカは賛否両論をおそれない?
「それは僕だけじゃなく、顔と名前を出している人は皆、根底にその覚悟を持ってモノづくりをしていると思います。もちろん、批判されればつらいんですけど、でも批判されたということだけを受け止めてしまうと、表現者として前に進めなくなってしまう。批判に傷つくことはもちろんあるけど、それでも、10人が10人同じ意見だけを言うよりはずっと健全だと、勇気をもってそう思いたい。蘭やキリンように、定められた範囲を超えて進化するためにも。…こんな覚悟で、“ディーン・フジオカ”をやっております(笑)」
その覚悟のまなざしを、全話配信で、たっぷりと受け止めてみたい。
(TOKYO HEADLINE・秋吉布由子)