追悼:戦略的思考を貫いた大宰相・安倍晋三【長島昭久のリアリズム】

在りし日の安倍晋三元首相(写真:AP/アフロ)

 安倍晋三元総理が凶弾に斃れてから一か月というもの、途轍もない喪失感をどうすることもできません。安倍さんとの出会いは国会議員2期目の終わりころ。当時は政党が異なっていたこともあり遠くから眺めるばかりでしたが、ある時、ワシントン留学時代からご指導いただいてきた岡崎久彦元駐タイ大使からお声を掛けていただき外交の勉強会でご一緒することになりました。ちょうど民主党政権が誕生する前の春ごろだったと思います。当時の安倍さんは雌伏の時にありましたが、日米同盟や対中戦略について非常に鋭く広い視野から縦横に語っておられたのが強く印象に残っています。私も、岡崎門下生の端くれとしての自負もあり、ずいぶんと生意気に議論を吹っかけていましたが、今となっては恥じ入るばかりです。そんな岡崎大使との関係に沿って、安倍さんの戦略的思考について振り返ってみたいと思います。

 勉強会での議論の最大の焦点は、台頭著しい中国とどう向き合うべきか。それに対する安倍さんの戦略的思考は明快でした。まず、基軸である日米同盟を強化して外交・安全保障の足場を固める。その上で、太平洋の南に位置する豪州とマラッカ海峡で繋がるインド洋を臨むインドとの連携を進め安全保障のダイヤモンド(日米豪印)で戦略的土台を補強する。これは、第一次政権の2007年、インド国会で行った「二つの海の交わり」演説で描いた構想ですが、後にQUADとして結実します。その上で、ユーラシアにおける中露二大国の分断を図り、中国との間に戦略的互恵関係を築いてインド太平洋地域に平和と安定を確立するというものです。この戦略構想が、第二次政権の約8年で現実のものとなり、それが日本の戦略だけでなく米国と共有され日米同盟のインド太平洋戦略となり(なんとハワイの米太平洋軍も「インド太平洋軍」と改称されました!)、「自由で開かれたインド太平洋」(Free and Open Indo-Pacific, FOIP)というコンセプトが世界各国に広がったのです。日本の政治指導者が唱えた構想が米国はじめ世界で共有されるなどというのは、有史以来初めてのことといっても過言でないと思います。

 そのために、外交・安保政策遂行の司令塔である国家安全保障会議(NSC)を内閣官房に創設し、国家秘密を保護する法制を成立させ、同盟強化のため集団的自衛権の行使容認を断行。安倍総理は、これら一連の安全保障の構造改革を内閣支持率を10ポイントも減らしながら成し遂げたのです。ちなみに、悲願の集団的自衛権行使容認の閣議決定を見届けて、岡崎久彦大使は2014年10月26日、安らかに天に召されました。安倍外交はその後もエンジン全開。懸案だった韓国との慰安婦問題を解決し、ロシア外交を活発化させ中露分断を実現、米国離脱後のTPP-11を完成させ、さらには不確実性の連続だったトランプ政権の衝撃から日米同盟を守り抜き、EUを離脱した英国との関係強化をインド太平洋戦略に連接したのです。そして、対中戦略外交における最後に残されたピースが「台湾海峡の現状維持」でした。台湾の行く末については、晩年の岡崎大使が最も心を砕いておられましたが、総理を退いた後の安倍さんが最優先に取り組もうとされていた外交課題が台湾問題であった、と私は確信しています。

 時あたかも台湾海峡をめぐる緊張が急激に高まっています。台湾の自由と民主主義を守り抜けるかどうかが、東アジア、延いてはインド太平洋地域における永続的な平和と安定の行方を左右する試金石です。そして、それこそが、私にとり岡崎大使と安倍さんから託された最大の使命であると密かに自認し、政治生命を賭けて取り組む覚悟です。(衆議院議員 長島昭久)

【長島昭久プロフィール】
自由民主党 衆議院議員7期・東京18区(武蔵野市・府中市・小金井市)。
1962年生まれ。慶應義塾大学で修士号(憲法学)、米ジョンズ・ホプキンス大学SAISで修士号(国際関係論)取得。2003年に衆院選初当選。これまで防衛大臣政務官、総理大臣補佐官、防衛副大臣を歴任。2019年6月に自由民主党に入党。
日本スポーツ協会理事、日本スケート連盟会長。