赤ペン瀧川「表現の規制は時代に合わせて厳しくなるのは仕方がない。でも過去の作品に今の物差しをあてるのは間違っている」〈インタビュー後編〉

「過去作は歴史の勉強」と語る赤ペン瀧川(撮影・蔦野裕)

「規制しすぎたら、何も知ることができなくなってしまう」

 ネットフリックスでは過去に配信したオリジナルのドラマにおいて、喫煙シーンや暴力シーンを削除するケースもありました。
「そこは先ほども言ったように、過去作は歴史の勉強なので、ということですね」

「過去作は歴史の勉強」というのはその通りだと思うんですが、なかなかその考え方は浸透していないですね。
「アカデミー賞国際長編映画賞を受賞した『西部戦線異状なし』という1930年の映画をネットフリックスがリメイクして撮った作品があって、それは第一次世界大戦末期をドイツ側から描いた映画なんですね。で、僕はさらにイギリス側から描いたドキュメンタリー『彼らは生きていた』も見たんですが、やっぱり歴史の勉強でしかないというか、すごいことになっている。殺人描写とか暴力描写とか生ぬるいこと言ってんじゃねえよ、という感じなんですよ。第一次世界大戦に参加した人たちのインタビューと当時の映像でドキュメンタリーを作っているんですけど“どんどん人が死んでいくんだよね”とか明るくしゃべっている。一応気を使って、倒れている人たちをよけて歩いているんだけど、軍曹が、いいよ、そんな暇ないからって、友達を踏みながら敵を殺しに行ってたんだ、という話をしているんです。

 そういうことが実際にあったわけで、その人たちも生きるためには非人道的だとか言っている場合ではない。そこから我々が何を学ぶかというと、戦争というものはいかに不毛で、いかに悲惨かということ。そこの角を取ってしまって、今、我々の物差しに合わせた丸いものというか…なんというか、角の取れた状態で渡されても何の勉強にもならない。だから過去のものに口を出すのはちょっと違うよなと思いますね」

 娯楽作品として楽しむばかりではなく勉強という側面もあるということですね。
「『チェチェンへようこそ -ゲイの粛清-』という2010年代にも関わらず、チェチェンという地域で、ゲイ粛清が行われて、めちゃくちゃ殺されまくったというドキュメンタリーがあるんですが、いまだにこんなことが行われているところがある。LGBTQの話を一生懸命している日本人にはこの作品見てほしい。たった十何年前だけど、ゲイであること、ホモセクシュアルであることが分かったら、単純にリンチして殺すみたいなことが全然OKな地域がまだあるぞということを知ってほしい。これって知らない世界を知ることだし、勉強することだと思うんです。これを“それは過激だからダメ”とか“LGBTQの理解度を深める精神に反するからダメ”って規制したら、何も知ることができなくなってしまう」