岸田奈美さん「こんなことはもう二度と書けない」と語る新境地『飽きっぽいから、愛っぽい』

『飽きっぽいから、愛っぽい』を書き上げ「“これはエッセイじゃ伝えられないな” という話も出てきました」

 5月には初の著作『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』のドラマ化も控える岸田さんに、これからどんなものを書いていきたいのか聞いてみた。

「『飽きっぽいから、愛っぽい』は毎回、息継ぎができない25メートルプールを必死で泳ぐように書いたんですけど、書けば書くほど “これはエッセイじゃ伝えられないな” という話も出てきました。まだ自分の中で折り合いがついていないことや、“これを書くとめちゃくちゃ傷つく人がいるよね” ということの中にも伝えたいことがあるんですよね。あと、“私がこの人に出会わなかったらどうなっていたんだろう” と想像せずにはいられなくて、変な話ですけど “オカンが病気から立ち直れへんかって、そのままだったとしたらどうなっていたんだろう” とか。エッセイでは書けないけど、もしかしたら小説になるのかもしれないし、別の表現になるのかもしれません」

「とはいえ、どうやってもまだ小説は書けないんですけど(笑)」と照れ笑いを浮かべる岸田さん。

「本当は自分が見たもの、経験したものを盛りに盛ってエッセイか小説か区別がつかないものを書いていくほうが向いてるのかなとも思います。今回のエッセイにリリー・フランキーさんがコメントを寄せてくださってるんですけど、中学生の時に実家の脱衣所の本棚にリリーさんの『美女と野球』というエッセイ集があって、その中に声帯を取ったお母さんが持つ手鏡に東京タワーが映っている印象的なシーンがあります。あの描写をふくらませて小説『東京タワー』にしたんだなということに希望を感じていて、それで “エッセイと小説って本当は境目がないもので、読者に何を伝えるかが大切なんだろうな”っていうことをすごく考えました」

 岸田さんにとっての新境地といえる『飽きっぽいから、愛っぽい』。これから読む読者にどのように届いてほしいのだろうか。

「こんなに読んだ人によって印象に残ったところが違う作品は自分にとって初めての経験で、SNSやブログ、直接会った時とか挟まっているハガキ、何でもいいのでどこが印象に残ったかというのを教えてほしいです。自分でも気づいていなかった景色が皆さんの感想によって引き出され、思い出話をしながら一緒に記憶を作っていくというか、取り戻していくことができるんじゃないかと感じています。

 自分のエッセイを人に読まれて恥ずかしいという感覚はなくて、逆に小説とかを読まれるほうが恥ずかしい。この間、作家の一穂ミチさんとお話しした時に”実名でこれを書くってすごい勇気だと思います” って言われまして。炎上するかもしれないし、本名なので私が何かやらかすと家族にも迷惑がかかるわけじゃないですか。もちろん怖さはあるんですけど、それでも私には文章を書く以外に選択肢がないんです」

(TOKYO HEADLINE・後藤花絵)