黒田勇樹「バブルがあって、映画も演劇も法令順守のルールがテレビ局に準じたものになってしまった」〈インタビュー前編〉
昨今、「コンプライアンスの順守」という声が大きくなるにつれて「表現の自由」が侵されているケースはありはしないか? コンプライアンスの順守は当然にしても、制作の現場が過剰に反応したり、萎縮するあまり自ら規制をかけていたりするところはないか? ということで「コンプライアンスの順守と表現の自由の間」について考えてみる企画の第2弾は劇作家・演出家・映画監督、そして俳優とあらゆるスタイルで表現にかかわる黒田勇樹。前後編となったインタビューの前編では子役時代からの日本の表現に関する変遷を聞いた。
「コンプライアンスの順守と表現の自由の間」について聞く
まずは現在の黒田さんの主戦場はどこになります?
「演劇の演出と映像の監督というのが最近では一番多いですね」
俳優としての活動は?
「お話をいただければ出るというスタンスですね。あと半分くらいは“この役者さんに出てもらえないかな”と思っても予算が見合わないという時があるんですが、そういう時に“黒田勇樹”というカードがあるので、自分の作品に自分で出ているという感じですね」
基本的には作る側を主にしていきたい?
「ぶっちゃけ言うと、僕は何でもいいんです。声がかかればなんでも。引っ越しのアルバイトでもいいんです。楽しく毎日が過ごせればいい。ただ、俳優を出方、演出家などを裏方というんですが、これを交互にやることってすごく勉強になるんです。“この俳優、ダメだな”って思ったら、自分が出るときはしなければいいし、演出を受けているときに“この演出ってすごくいいな”と思ったら次に自分が演出をするときに使える。いわゆるフィードバックができる」
そういう両方からの視点を持つ黒田さんには最近の表現を取り巻く状況はどう映っていますか? 特にコンプライアンスの順守。ツイッターとかSNSが騒がしいゆえに、作り手側が委縮してしまう部分もあり、制作側が気にしすぎているところもあるのかなとも思うんですが?
「僕も、おかしいと感じる部分はあるというか、例えば、ジェンダーに問題を抱えている人を出すとして、その人が恋愛をする作品があってもいいし、気持ち悪がられる作品があってもいいし、コメディーリリーフ、つまり昔のドラマによくいたおかまバーのママのように面白い存在であってもいい。この全部が網羅されることが多様性であるはずなのに、どれかじゃなければいけなくなっているということに窮屈さは感じます。ただ、映像ではもう取りあえず無理です。映像はほとんどスポンサーがある仕事になっている。映画ですら出資者のお金をもとにやっている。そういう問題が起こった時に、出資者に文句を言えばいいということに視聴者が気づいてしまいましたから」