「新しいPSYCHIC FEVERを届けたい!」 タイでの経験を反映した最新作リリース、そして初の単独ツアーへ

「アメーバみたいに変化してトライ」

ーー制作中はどんなことを大切にしながら「実験的」「研究」を追求していったのですか?

志:タイでの半年間の活動の経験から得た僕たちなりのスタイルです。前回ライブパフォーマンスの仕方が変わったというお話をさせてもらったと思うんですけど、ジャンルに囚われずに挑戦していくスタイルもまた学んだことのひとつなんです。

ーー”ジャンルに囚われずに挑戦すること”の大切さはどんなことか学んだのですか?

志:僕らは、タイに行くまで、すごくホームな環境でやらせていただいてきたんです。デビューアルバムの『P.C.F』も、デビュー前に先輩方のサポートダンスをさせていただいた経験もそうです。そこから離れて、タイで路上ライブだったりフェスだったりに出させていただきながら、TーPOP(タイのポップス、タイの音楽)に触れて……僕たち自身がアメーバみたいに変化して、いろんなことにトライできるって感じられたんです。

ーーアメーバみたいにならなきゃならなかった状況、とも言えそうですが。

志:それはそうですね(笑)。ただ、より変幻自在に動いていきたいという気持ちが強くなりました。僕たちはこういうグループだからこうしたい!ってことじゃなくて、今までやったことがなかったこの曲ができたんだからこういうこともやっていこう!みたいな気持ちです。いろんな目線で自分たちの進み方を見つけることができた気がしています。それが「実験的」「研究」ってところにつながっていったと思います。

タイでの日々、経験、学びを反映


ーー話が前後しますが、『PSYCHIC FILE Ⅰ』はタイで作り上げた作品ということになりますか? というのも、デビューのタイミングでお話を伺ったときに、「タイに持っていく楽曲を用意しなきゃいけない」といったことをおっしゃっていて、用意していた曲も収録されているのかな、と。

中西椋雅(なかにし・りょうが。以下、椋雅):「Up and Down」がそれじゃない?

JIMMY:そうですね。当時の楽曲のラインアップを見まわすと「Hotline」とかメロウな曲が前に出ていて。タイでの武者修行、その先のことも考えるなかで、ライブで見たい曲っていうのが絶対必要だって話してました。それで加わったのが「Highlights」だったり「Up and Down」で。「Up and Down」って振付から作った曲なんですよ。

ーー 楽曲制作には、曲を先に作る曲先、リリックが先に来る詞先といったものがありますが、振付先行っていうのもあると聞いたことがあります。

JIMMY:デモの段階から振付を作って他をそれにあて書きをしてもらったので、振りとの親和性があるんですよね。タイで経験を積む中で見つけた1つのヒントでもあるかも。

WEESA(イーサ):他にもタイにいる間に作ったのは「Nice & Slow」や「ForEVER」があって、「ForEVER」は自分たちで歌詞も書かせていただいていて。何度も書き直した分、思い入れも強いんです。「アシンメトリー」や「Highlights」には新しい挑戦があるし……タイで培って来たことが反映されている楽曲ばかりです。

ーー タイでの経験や体験がかなりビビッドに作品に反映されているんですね。そういえば、タイでの音楽制作やライブ制作を一番楽しんでいたのは椋雅さんと聞いたのですが、刺激を受けましたか?

椋雅:そうですね。タイって街中の騒音がすごいんですよ。ボイスレコーダーを買って、音を収集して曲を作ってみようみたいなのをやったりして、知るほどにめちゃくちゃ面白いなと思いました。「To The Top feat. DVI」はタイの皆さんの乗れるような曲や楽しめる曲には”定番”があるんだろうとプロデューサーのNINOさんと作ったんですが、日本だったらあまりない音の取り方だし、あれっ?っていうメロディーに感じたりもするんですけど、そこがまたいい!みたいな。海外に行って音楽を作るというということはいろんな国の人たちの国や文化を学べるんですよね。これからもそういう機会を増やしていきたいと思います。