早乙女太一「僕らの”お祭り”にふらっと遊びに来て!」劇団朱雀の祭りが始まる!
ーー少し早乙女さん自身について聞かせてください。劇団朱雀の舞台には子どもの頃から立ってきて、解散・復活を経て、今は劇団を率いる立場。劇団や芝居に対する思いにも変化がありますよね?
全然変わりましたね。きっかけは……舞台に立つことが当たり前じゃないということがわかったことじゃないですかね。僕は子どもの時から舞台に立ってきて、舞台に立つことが生活の一部だったわけですけど、それは当たり前のことじゃないと分かってからは、お客さんに失礼なことをしたくないし、自分自身に対しても失礼な舞台、失礼な生き方をしたくないと思うようになりましたね。
ーーそう感じるきっかけになったことがあるのですか?
最初は17歳ですね。初めて外部の公演に出て、いろんな役者さんたちを見て、舞台に上がることは特別なことで自分の人生に挑んでるんだって思ったんです。舞台というのは、ちゃんと向き合う場所なんだって。僕にとっての舞台はお風呂に入ることやご飯を食べることと一緒だったから。
ーーあまりお芝居は好きじゃなかったというお話を聞いたことがあります。
お芝居は…嫌いでしたね。20過ぎても嫌いでした。表現方法のひとつとして学ばなきゃいけないと思ってるという感じで、実は今でも好きじゃなかったりもします(笑)。ただ踊るのは好きですね。
ーー そんな中で、劇団朱雀ってご自身にとってはどういう存在であり場所だったんでしょうか。
自分のルーツではあるんだけれど…実家っていう感覚とは違うんだよなあ。……面倒くさい話になるんですけど、僕、ずっと嫌いで、ずっと反発してやってきて、ずっと離れたいエネルギーで頑張れていたところがあるんです。自分の人生の半分以上そういう環境でやってきたので、そのまま終わらしたくないというのがあって。自分が好きな場所にしたいし、そこにいる人たちにはめちゃくちゃ楽しんでもらいたい。劇団朱雀を、今までの自分、今では他人みたいな感覚があるんですけど、そいつに楽しんでもらいたいなと思うんです。
お客さんももちろんそうなんですけど、自分自身が楽しめて必死に生きれる場所に作り直したい、というのが劇団朱雀を解散するときに思っていたことでした。ちゃんと自分で作り直す決意があっての解散でした。それをどういう場所と表現していいか…分からないですけど。
ーー 今、自分の好きな場所になってますか?
今のところ、そう作れていると思います。解散の時から思い描いていたことなので、その時からずっと作り続けている感じです。