Vol.49 NOSUKE(THE JET BOY BANGERZ)インタビューシリーズ〈 LDH バトン ~夢~ i CONZ 第二章特集〉
EXILE、三代目 J SOUL BROTHERSらが所属するLDH JAPANは、音楽やダンスだけでなく、映画や芝居、アパレルや飲食など、さまざまなプロジェクトを通じて「Love, Dream, Happiness」のメッセージを届けています。【LDH バトン】では、LDHに所属するアーティストやタレント、アスリートたちに、Dream(夢)について聞いていきます。
今回登場するのは、8月23日にデビューシングル『Jettin’』のリリースを控えたTHE JET BOY BANGERZ(TJBB)のNOSUKEさん。プロダンスリーグ「D.LEAGUE」でも活躍するNOSUKEさんに夢との向き合い方を聞きました。
小学校の卒業文集に「有名になりたい」
―― 子どもの頃の夢、覚えていらっしゃったら最初のものを教えてください。
たぶんサッカー選手だと思います。保育園の年長から中学3年生まで、かなり真剣にやっていたんです。ポジションはフォワードでした。点を入れたくて。目立ちたかったのかな(笑)。ただ、小学校の卒業文集に書いてあるのは「有名になりたい」なんですよ。小学4年の時にサインを自分で考えて、将来はサインを書くぐらいの有名人になるぐらいなことを言ってました。今もそのサインを使っています。
―― そのころの自分はどんな子どもでしたか?
ずっと怒られてばっかりでした。母親にも怒られてたし、先生にも怒られてました。やんちゃだったんです。破天荒というか天真爛漫? 木の棒を持って振り回してるようなタイプで、周りからは昭和に生まれたらよかったねってずっと言われてました(笑)。
―― 木の棒を振り回していたやんちゃな男の子が、ダンサーを目指すことになったきっかけを教えてください。
ダンスを始めたきっかけはヒップホップに出会ったことです。小学校6年ぐらいから聞き始めたんですが、YouTubeができたばっかりだったのかな、“関連動画”のところにヒップホップがいっぱいあって、JAY-Zとか、Nasとかを聞いてました。それがきっかけとなって踊り始めました。
―― そのダンスを始めたのはいつぐらいのことですか?
高校1年生からです。ダンスがやりたいってなっちゃって。中学を卒業してもサッカーをやるんでしょっていう感じだったんですけど、ダンスの方がやりたい、挑戦したいと。学校の先生とか、両親には反対もされたんですけど、俺がやりたいから絶対やると、「もう決めたから」みたいな感じ。地元にダンスの師匠がいるんですけど、その人から、ファッションとかいろいろなことを教えてもらうようになって、本気でダンスでご飯食べていきたいと思いました。
―― ダンサーになるためにどんなことをしましたか?
僕はストリート出身なので、公園や図書館の鏡の反射しているところで自主練習をするのが好きでした。友達にDJやラッパーも居るので、音楽流しながら、遊びながらダンスをして……それがなかったら今の自分はいなかったし上手くもならなかったでしょうね。仲間も増えなかったと思います。ダンスと音楽があればみんな仲良しになれるんですよ。