「人生はなから退屈さ」のフレーズから始まった! 令和の卒業ソング『僕らまた』のSSW、SGがメジャーデビュー
「すべて放棄した」6カ月
―― 名前が出てきたところで「Palette」の話をしましょう。制作はどんなふうに?
曲そのものはすんなりと作れた曲なんですけれども、この曲は制作に着手するまでのプロセスがしんどかったんですよね……人生という意味で。
―― なんだか壮大な話になりそうですね。
なります(笑)。『僕らまた』という楽曲が僕も予期していなかったぐらいものすごくヒットしてくれて、それまではYouTuberに過ぎなかった自分がシンガーソングライターとして音楽で飯を食えるようになりました。僕には親父との約束があったんですよ、25歳までは食べさせてやるけれど、それ以降は知らない、自分で自立しろよ、っていう。『僕らまた』でそれまでもらっていた仕送りを送らなくていいよって言えました。
それから3年が経って、今年の3月22日にインディーズ最後のライブをしました。インディーズでやったことの集大成を見せるライブです。ライブに向かって進んでいく中で親父が還暦を迎えたので、ちょっといい車をプレゼントしたんですが、それが、なんていうのかな……親父との腕相撲に勝った感じで。自分が男だからそう思うのかもしれないんですけど、親父との腕相撲に勝ったら親父を超えた感じがするんですよ、なんとなく。うれしいんですけど悲しさもあって、それが覚悟に変わって、この人たちを俺が守っていきたいって思うようになりました。なのに僕はライブを終えたあと6カ月間、すべてを放棄するんです。
……なんだか完成した気がしちゃって。自分の夢とか目指しているところってそんなに大きくないんですよ。音楽で飯が食えればいいし、あらかた有名になれればいい。で、もう自分で買いたいものも買えるし、親孝行もしたし、メジャーに行かなくても十分できてるし、ゴールだって。
インディーズの集大成だ、フィナーレだって、ライブもいろいろ考えてやったけれど、想像していた数字や売り上げは叶わなかったというのも放棄の理由のひとつかもしれません。僕は大失敗だと思ったし、これ以上のことは考えられないからもう失敗に向かっていくだけだと落胆もしました。それから半年はゲームとウーバーの廃人状態。スタッフもSGどうしたんだろうってなっていくんですけど、それに対して悪いなとも思わなくて。なんか無で。
―― 挫折とはまた違うんでしょうか。
うーん、挫折ともいえるんだろうけど、達成感や満足感もあるっていう。それらの集合体です。
“MUST”ではなく”WANT”
――そんな状況、自分がぐちゃぐちゃになりますね。
インディーズ最後のアルバムのタイトルが『FINALE』だったんですけど、まじで終わらせちゃったなって思ってました。アルバムを完成させるために、そこまでぶっ壊れたのかな、ちゃんと『FINALE』したのかなって。これは後付けですけど。
並行してメジャーデビューに向けて準備は進んでいましたが、僕自身はやってることに愛を感じられなくて。JUGEMが自分がやりたいことのために離れていったことも、人任せになっていく自分を加速させて、自分自身もズタボロになっていきました。そんな時にまた、JUGEMが一緒にやりたいと戻ってきてくれて……すごくうれしかったんです。でも僕は時間があったら制作しようって言っただけで、メジャーデビューの予定もどんどん延期していきました。
そんな時、お世話になってた方が食事に誘ってくれたんです。スゲーやる気がないんだ、何もやりたくないんだって伝えました。そしたら、自分がやりたいことはできてるのかって。一緒にやろうと言っている人たちはSGのMUST(やるべきこと)を売りたいんじゃなくて、WANT(やりたいこと)を売りたいんだよって。今準備しているものがWANTじゃないなら一回バラそう、SGが情熱を持って作ったものを売るからって。これって相当なことです。それを言われたときに凍っていたものがバーンと解けて、完成したのがこの「Palette」なんです。