能登半島地震から半年、液状化被害の内灘町は今「これだけ放置されたら感覚が麻痺してくる」

床がめくれ、土砂があふれた津幡さんの事務所兼倉庫からは災害ごみが運び出された(本人提供)

 自宅の災害ごみの搬出には初めてボランティアスタッフの派遣を頼んだ。

「頼んでみて分かったのは、ボランティアにも技術系と一般ボランティアがあって、技術系だと重機を扱ったりできるけど、一般ボランティアは半壊以上だと中に入れません。うちの倉庫は全壊だったので、中にあるものは自分で外に出してください。ボランティアスタッフがそれを仮置き場まで運びます” と言われました。

 珠洲の友達から聞いた話では、ボランティアさんが荷物を運び出す時に思い切り投げたり、持って行けないものをその場で叩き壊したりするので、それを見ていたおばあちゃんが泣いてしまったとか。僕も父親がコレクションしていたレコードは、事前打ち合わせで “残す物の印” として決めたテープを貼っていたのですが、見事に全部なくなっていました(笑)。僕の場合は仕方ないなと割り切れますが、ずっと暮らしていた家の思い出の詰まった家財道具を目の前で投げたり壊されたりしたら……。そういうことを含めて、今はこの状況下で自分と母親のメンタルをどう保つのかが一番重要になっています」

 近隣の避難所は閉鎖されたものの、町に人の気配は感じられないという津幡さん。

「内灘町に開設されていた2カ所の避難所はもうなくなりましたが、液状化で家が傾いたり、盛り上がったり下がったりしたままで、傾いた道路標識や電柱なども被災直後と同じ状態です。能登にはまだたくさん避難所が残っているものの、元気な高齢者は親族と共に他の町に引っ越して、一人暮らしなど自分で動けない高齢者が避難所に残り、段ボールベッドと段ボールの間仕切りで生活しています。

 僕が住んでいるこの地区は車で5分走れば普通の日常生活があって、何か用事がある時や引っ越そうと思えばすぐ出ることができます。今残っているのは、これから何かしようとしている人と何とか住める人だけ。もともと人は少なかったけど、今はまったく人気がなくなりました。選挙があると呼んでいない候補者が何人も仕事場に現れるのに、今回町議会議員で視察に来た人はひとりだけ。僕らの生活は何も変わっていないのが現実です」